自衛隊の交戦規定 適切な武器使用を認めよ

専守防衛の受動的制約

 8月10日、「60年目の自衛隊・知られざる最前線ルポ」と題するNHKスペシャルが放送された。その内容はどちらかと言えば隔靴掻痒の感を禁じ得ないもので全くの期待はずれであった。

 番組中でただ一つ心耳を澄まして傾聴したのは、今春、防衛大学校と一般大学を卒業して陸上自衛隊幹部候補生学校に入校した学生たちの記者の質問に対する真摯(しんし)な答えであった。

 折しも安倍首相による「集団的自衛権の限定容認」の政府見解の発表が行われた直後の取材であったと思うが、中でも防衛大学校卒業の候補生は「まだ防衛出動のリアリティーは感じないが、部下の命を預かる責任の重さを自覚し、任務完遂のため自分は淡々と本分を尽くす」と、堂々と答えていたのには瞠目(どうもく)させられた。まだ齢二十二、三歳なのに、この鼓腹撃壌の世に何と健気(けなげ)であることか。彼には立派な幹部自衛官になって、有能な指揮官として大いに活躍してもらいたいものだ。

 我が国周辺の安全保障環境がますます厳しさを増している中、これから国防の第一線に立つこれら幹部候補生の鬱勃たる責任感と使命感が感じ取れ、まことに頼もしく清々しい気分になった。

 しかし、残念ながら自衛隊を取り巻く現実は依然として厳しいものがある。同じく5日に公表された「2014年版防衛白書」では、集団的自衛権を限定的に容認する新たな政府見解について「日本の平和と安全を一層確かなものにしていく上で歴史的な重要性を持つ」とし、関連法の整備を急ぐ方針を示していることは当然として評価したい。

 だが、後がいけない。相も変わらず憲法第9条の趣旨についての政府見解として①保持できる自衛力②許容される自衛の措置③自衛権を行使できる地理的範囲④交戦権の否定と続き、基本政策として我が国は「専守防衛に徹する」とまで制約されてしまっては、自衛隊はまるで非現実的かつ無理な作戦を強いられた旧日本軍と同じである。

 そして国民の生命・財産と領土・領海・領空を守り抜くための取り組みとして、①周辺海空域における警戒監視②領空侵犯に備えた警戒と緊急発進③領水内潜没潜水艦への対処④武装工作船などへの対処に、総合的な防衛体制を構築して各種事態の抑止に努めるとともに、事態の発生に際しては、その推移に応じてシームレスに対応する必要がある。

 また、我が国が専守防衛という受動的な戦略姿勢をとっていることを踏まえれば、事態に応じ、適切な時期及び海空域で海上・航空優勢を確保して実効的に対処し…云々というのであるから、これも旧軍のエリート参謀の得意とした抽象的で空文虚字の作文に似ているような気がしてならない。

 さらに島嶼(とうしょ)部、つまり尖閣防衛についても統合運用により部隊を機動的に展開・集中し、敵の侵攻を阻止・排除する。万一、島嶼を占領された場合には、航空機や艦艇による対地射撃により敵を制圧した後、陸自部隊を着上陸させるなど島嶼を奪回するための作戦を行う。これが自衛隊の作戦方針であるとしている。

 いずれにしても防衛出動が命じられない限り、自衛隊は警察同然の武器使用とならざるを得ず、専守防衛に徹すれば、中国軍から攻撃を受けて自衛官に犠牲が出て初めて防衛出動が発動されるということになりかねない。

犠牲が大きい島嶼奪回

 いったん占領された島の奪回は、フォークランド紛争でイギリス軍は256名の犠牲を強いられたように、自衛官の多大の犠牲も覚悟せねばなるまい。そうならぬよう防衛出動に至らないレベルにおいても、国家としてROE(交戦規定)を定めて自衛隊の適切な武器使用を認めるべきである。政府はいつまでも自衛官の忠誠心に甘えるな、政治の責任を果たせと言いたい。