子供が良い人間性を引き出す
子育てから生まれる絆
元埼玉県教育委員長 松居 和氏
世界日報の読者でつくる世日クラブ(代表=近藤譲良(ゆずる)・近藤プランニングス代表取締役)の定期講演会が18日、都内で開かれ、元埼玉県教育委員会委員長の松居和氏が「子育てから生まれる絆」をテーマに講演した。松井氏は「最近、役場の人たちに聞くと0歳児の子供を預けるのを躊躇(ちゅうちょ)しない親が増えている」と、福祉が充実すればするほど親子関係が崩れていく危険性を指摘し、最も自然な方法で人間社会に“絆”を生み出してきた子供との関係を確認し直す時が来ていると主張した。以下は、講演要旨。
母育てる無力なゼロ歳児
親子関係の崩壊招く福祉の充実
私がこういう話しを始めたのは米国という国を見てしまったからです。米国では3人に1人の子供が未婚から生まれる。実の親とか肉親という言葉が意味を持たなくなり伝統的家庭観が崩れてしまった。子育ては夫婦が揃っていても大変。お爺ちゃん、お婆ちゃん、隣のおじちゃん、おばちゃんなど5、6人の大人たちが子供の人生を見守っていく。言い換えれば5、6人の大人たちが、その子の命に感謝する。それが子育て。

まつい・かず 1954年、東京生まれ。慶応大学哲学科からカリフォルニア州立大学編入、卒業。著書に「家庭崩壊・学級崩壊・学校崩壊」「子育てのゆくえ」「21世紀の子育て」「親心の喪失」「なぜ、わたしたちは0歳児を授かるのか」など多数。
母子家庭が必ずしも悪いわけではない。社会に絆があれば、母子家庭で頑張っている母親を見て新たな絆が生まれる。しかし、米国では母子家庭が攻撃されるようになってしまった。
今から18年前、米国の連邦議会に21歳以下の未婚の女性が子供を産んだ場合には一切生活保護費を出さずに、その分を貯めておいて政府が孤児院を造り、そこに子供を収容して育てようという法案が提出された。母子家庭に任せておくと犯罪者が増えるから、政府が孤児院で育てようというもので話題になった。結局、お金が掛かり過ぎるという理由で否決された。
確かに米国では、孤児院で育てば犯罪者になる確率や虐待される確率は母子家庭より低くなる。しかし、それでは親心が育たない。子育ては、子供を育てる以上に、それをすることによって親が親らしくなっていく、人間が人間らしくなるために存在する。
それが米国人は分からない。当時この法案に賛成したギングリッジ下院議長は、「孤児院と考えなければいい。24時間の保育所と考えればいい」と言った。私はこの言葉を一生忘れない。福祉は既に、そこまでいく可能性を持っている。
14歳、15歳、16歳の少女たちの妊娠出産が多い。調べていくと産みたくて妊娠している少女が多いことに気づく。不幸な家庭で育った少女たちが、温かい家庭に憧れる。一生に一度でいいから自分もそれが欲しいと、よほど辛かったのでしょう。男にはできないですが、母子家庭も家庭です。産むことで家庭を手に入れようとする。でも子育ての最初の3年は、そんなに易しいものではない。必要なのは忍耐力、この3年間で人類は忍耐力を試され、忍耐力を付ける。これが何千、何万年と続けられてきた。子育ての本質はそこにある。ところが、この若くして子供を産んでしまった少女たちは、不幸な家庭で育ったために、若すぎるために、基礎的な忍耐力が付いていない場合が多い。そこで、また虐待が始まる。
暴力というコミュニケーション手段は有効だから怖い。14、15、16年で回る幼児虐待のサイクルが米国で既に4、5回転していて止められない。1年間に米国で、親による虐待で病院に担ぎ込まれる子供が80万人。人口比で割れば日本で毎年30万人の子供が、重傷になるまで親に虐待されていることになる。人類にとってこれほど辛い、裏切りはない。
この幼児虐待のサイクルに火に油を注いでいるのが、不幸な家庭で育った少女たちの幸せになりたい気持ちだ。これに気づいたときに私は愕然(がくぜん)とした。不幸だからこそ、幸せになりたい。人間社会から一度親心という歯車が壊れると、幼児たちが「親を育て、人間社会に絆を生む」という天命を果たせなくなると、人間が幸せになりたいと思う気持ちが、不幸を生み始める。だから、この親心という歯車だけは絶対に狂わしてはいけない。
ゼロ歳児は喋れない、それには意味がある。言葉が通じないコミュニケーションを1年、2年きっちり要求してわれわれを育てる。コミュニケーションの深さを教える。生後2、3カ月の赤ん坊が泣くと、われわれ人間は泣き止んでほしいと思う。泣き止んで欲しいと思う自分を体験する。一見(いっけん)、何も教えているように見えない人たちが、体験とともにどれほどわれわれを育てているか、それに気づいてほしい。学校教育など、本当に歴史の浅い最近の試行錯誤でしかない。
生後7カ月の赤ん坊をベビーカーに乗せて散歩する。するとわれわれは話し掛ける。返事はないと知っているのに「猫が通ったよ」とか、ほとんど独り言。この「ほとんど独り言」が、人類を祈りの世界に導いた。祈りという、非論理的で不思議なコミュニケーションが可能であり大切だから、ほとんどの文化で人類はお墓を造る。子守唄を歌う。人形と一緒に生活をする。今日、家に帰ったらヌイグルミを一つ手に取って、10分でいい。なぜ私たちに人形が必要なのか、考えて欲しい。
すると、なぜ宇宙がわれわれにゼロ歳児を与えたかが見えてくる。ゼロ歳児がわれわれから引き出そうとしているもの、人形がわれわれから引き出そうとしているものが重なっている。「良い人間性」を引き出そうとしている。優しさだったり、忍耐力だったり、言葉のいらないコミュニケーション能力だったり、祈ろうとする気持だったり。人間の不思議なところは、自分を良い人間にしてくれるものたちを、自ら生み出す、つくり出すこと。そういうものたちに、良い人間にしてもらうことに、幸せを感じて生きる。
2、3歳の子供と散歩する。手をぎゅーと握ってくれる。こんなに頼りにされ、信じてもらえる体験は2度と無いかもしれない。こんなに信じてもらったんだ、その思い出にしがみついて人生を生きるんだと思う。こういう仕組みに感謝するようになって、初めて人間は一人前の人間になる。子育てを通して自分を発見し体験する。
人間は幼児と会話することで、私利私欲がなく、駆け引きがない、裏表のない人間関係を数人持てれば、自分は一生幸せに暮らせるということを理解する。それを家族という形でつくろうとする。
小野省子さんから「愛し続けていること」という詩をもらいました。
「いつかあなたも母親に言えないことを考えたりするでしょう、その時は思い出してください。あなたの母親もあなたに言えないことをずいぶんしました。
つくったばかりの離乳食をひっくり返されて、何も分からないあなたの腕を思わず叩いたこともありました。あなたは驚いた目で私を見詰め、小さな手を不安そうにもぞもぞさせていました。
夜中泣き止まない貴方を布団の上にほったらかして、ため息をつきながら眺めていたこともありました。あなたは温もりを求め、いつまでも涙を流していました。
私は母親として自分を恥ずかしいと思いました。だけど苦しみに潰されることはなかった。それは小さなあなたが私を愛し続けてくれたからです。
だから、もしいつか、あなたが母親に言えないことを考えたりして、辛い思いをすることがあったら思い出してください。貴方に愛され続けて、救われた私が、いつもあなたを愛し続けていることを」
絶対に一人では生きられない幼児たちが、まず私たちを育てる。あの人たちにこれほど純粋に愛され、時々許され、この詩人は「救われた」と言っている。あの人たちに救ってもらった私たちが、あの子たちを守る、この順番だけは絶対忘れてはいけない。





