入り口に立った安保関連法

世日クラブ

安保関連法と最近の東アジア情勢

公益社団法人隊友会北海道隊友会連合会会長 酒巻尚生氏

 世界は今、大きな揺らぎの時を迎えている。英国のEU(欧州連合)離脱、不安定な中東情勢、そして中国の国際法を無視した南シナ海の軍事基地化と尖閣諸島をめぐるわが国への度重なる挑発。一方、昨年9月、集団自衛権の限定的行使容認を含む安保法が成立した。緊張状態にある東アジアの中で日本の取るべき役割とは何か。北海道世日クラブ(会長、根本和雄・メンタルヘルスカウンセラー)は7月30日、公益社団法人隊友会北海道隊友会連合会の酒巻尚生会長を招き、「安保関連法と最近の東アジア情勢」をテーマに講演会を開催。その要旨をまとめてみた。(札幌支局・湯朝肇)

さらなる深化問われる

形骸化すれば尖閣は中国に

 私の35年間の自衛官勤務の中で二つの転機があった。一つは昭和57年から58年の1年間、英国陸軍指揮幕僚大学に留学に行った時のこと。当時、英国はフォークランド紛争の直後だったが、国家・国民・軍の相互信頼が強固で、また、英国民の軍隊や軍人に対する敬意の念を目の当たりにして驚き、羨(うらや)ましく思ったことを今でも覚えている。

酒巻尚生氏

 さかまき・たかお 防衛大学(第10期)を卒業後、陸上自衛隊入隊。英国留学、米国などの海外勤務などを経て1996年、陸上自衛隊第9師団長、97年に統合幕僚会議事務局長、99年に陸上自衛隊北部方面総監、2001年に退職。退職後は公益社団法人隊友会北海道隊友会連合会会長として、北海道内の現役自衛官のサポートの傍ら日本の防衛をテーマに各地で執筆や講演を多数行っている。73歳。

 英国から帰国して6年後は外務省出向の任務が与えられ、米国防衛駐在官として日本大使館に勤務することになった。湾岸戦争の時であった。赴任直後の1990年8月、イラクのクウェート侵攻をきっかけとして米国を中核とする多国籍軍が派遣されてイラク軍をクウェートから駆逐した。大使館には私を含め6人の防衛駐在官がいたが、私がサウジアラビアに派遣された。僅(わず)か2カ月という短い期間であったが、戦争突入に備えて緊迫した状況下で日々訓練に当たっている米軍等を直接現地で状況を見聞することができたのは有意義だった。さらに、戦争に向かう国家、国民、軍隊の在り方を実感できたことも大いに勉強になった。当時、日本は米国から現地での輸送や補給等の人的貢献の要請があったにもかかわらず、憲法を盾に人的貢献はできないとし、130億㌦という金銭的支援にとどめてしまった。しかし、日本の金銭的支援に米国民はほとんど関心がなく、国際社会の一員としても認められなかった。

 サウジアラビアから戻った直後、「いくら情報を渡しても日本は何もしてくれない」との理由で米国国防総省(ペンタゴン)に入ることができなくなり、それ以後の対応は非常に冷たかった。この英米両国での体験が、その後の自衛官としての私の人生に大きな影響を与えている。

 さて、昨年9月に集団的自衛権の限定的な行使容認を織り込んだ安保関連法が成立した。安保法制の整備は主権をもった国家ならば極めて当たり前のことだが、わが国では未(いま)だに違憲論議がくすぶるなど国民のコンセンサスが得られていない。安保法制の論議が始まった時、私は日本の防衛や国の在り方が根本的に立ち返って真剣に議論される時がようやく来たと思ったが、結果は完全に期待外れだった。違憲論議を抱えたまま国民の理解を得られないまま任務を遂行しなければならない自衛官の心情を思うとやるせなく、また腹立たしい気持ちになる。

 ここで最近の東アジア情勢をみてみたい。かつて冷戦時代には旧ソ連が日本の脅威となっていた。旧ソ連の艦隊が太平洋に出るには、宗谷、津軽、対馬海峡の三つの海峡を通過しないといけない。北方領土のある千島の海峡は水深が浅くて大型の艦船は通れない。従って、主に津軽、対馬の2海峡を守ってくれというのがアメリカの要望だったと思う。冷戦が終わって今度は中国が出てきた。中国にとって東シナ海での一番のポイントになるのが尖閣諸島だ。70年代、国連が東シナ海の海洋調査を行ったところ同島周辺海域に大規模な油田があることを報告した。すると途端に中国が尖閣諸島を自国の領土と言い出した。中国の尖閣諸島の戦略的価値は一つに海洋資源の獲得がある。しかし今は、東シナ海の内海化を狙い、海洋覇権のための重要な拠点として尖閣諸島を位置づけている。尖閣諸島を制することによって琉球列島の西側の東シナ海は中国の内海となり、沖縄と宮古島の間を艦船が大手をふるって自由に航行する。まさに尖閣諸島は東シナ海を制するとともに太平洋へ進出する拠点となる。

 中国には古くから「戦略辺彊(へんきょう)」という考え方がある。簡単にいうと自国の軍事的力の及ぶところが自分の領土という考え方だ。92年に領海法を定め、2009年から「核心的利益」という言葉を使って台湾、チベット、新疆ウイグル、南シナ海をその対象にしてきた。核心的利益とは、統治の正当性や主権、領土を守るために譲ることのできない国益という意味だが、いざとなれば武力を使ってでも守るということ。13年4月に中国は尖閣諸島を中国の核心的利益と明言している。つまり中国は尖閣諸島については武力を使ってでも一歩も引かないと宣言しているわけだ。

 現在、中国は南シナ海を実効支配しようとしているが、ここに進出するきっかけとなったのがフィリピンからの米軍の撤退だった。現在、尖閣諸島をめぐっては中国の戦闘機や艦船が日本の領空、領海に近づいて緊迫した事態を引き起こしているが、偶発的な軍事衝突が起きないとは言えない。中央当局の統制が利かず、中国の軍部が無茶な動きを起こす可能性はなしとはせず、注意しなければならない。偶発的な衝突が想定外の進展を見せることがある。

 一方、北朝鮮の脅威も考えておかなければならない。理解することの難しい国だが、北朝鮮については大量破壊兵器と弾道ミサイルにわが国の注目が偏り過ぎているきらいがある。北朝鮮で最も注視すべきは、8万から10万人いるといわれる特殊部隊の行動がある。彼らがある意図をもって生物兵器や化学兵器などを携行して日本に入ってきたら、これほど恐ろしいことはない。わが国最大の弱点は日本海側には多くの原子力発電所があることである。これらは北朝鮮の格好の目標となり得る。こうしたテロ、ゲリラへの対応と対策を、日本は各自治体を含めて早急に講じていく必要がある。

 東アジアの情勢の中で、平和を保つ方策として三つのキーワードがある。「協調」「共同体」「均衡」の三つ。かつて6カ国協議があったが、現在ストップしている。「共同体」とはそれぞれの主権国家が共通の価値観のもと、利益を共有する体制でその典型はEUだ。しかし、主義思想、価値観の異なる国家の集合体である東アジアで共同体をつくることはほとんど不可能と思われる。従って、現在の平和を維持するには力と力の「均衡」を保つことをもってするしかないではないか。

 中国の覇権が強まる一方でアメリカの力の相対的低下が懸念されている。日本の経済力・技術力による影響力行使にも陰りが見える。東アジアのパワーバランスを保ち、地域の安全を維持するには、日本は自主防衛体制を確立し、安全保障体制を深化させる必要がある。さらに日米同盟を強化し、東アジアにおいて米国を含む広範な協調体制を構築することが肝要であり、日本がより積極的に指導的な役割を果たしていくことが重要だ。

 そうした平和と安全の維持構築のためのツールの一つが安保関連法制なのである。ただ、昨年9月に成立した安保関連法は単なる入り口の扉が開いたことにすぎないことを肝に銘じる必要がある。安保関連法が成立しても課題は山積している。これまでの議論では平時における自衛隊の役割、さらには同盟国の邦人救出に当たる際のリスクにどう対応するか、といった議論は皆無なのである。リスクがあるから安保関連法を廃案にするというのではなく、どのようにリスクを減らしていくか、さらに平和と安全を維持するには国民もまたある程度のリスクを背負うことの必要性を政治家はしっかりと説明し、国民に覚悟を求めていかなければならない。「今こそ国民は守られるものではなく、自らが自らの手で守るものである」との意識改革が強く求められる。そういう意味で安保関連法はさらに深化させると共に国民の理解を求め続けていくことが必要である。