那覇大綱挽、なぜ「挽く」のか
沖縄発のコラム:美ら風(ちゅらかじ)
那覇市最大のイベント、那覇大綱挽が13日、那覇市の国道で開催された。1995年に「世界一のわら綱」としてギネスブックに認定された。今年は、30分に及ぶ長期戦の結果、東側が勝利した。
開催の意義を「那覇大綱挽保存会」公式ホームページはこう説明する。
「那覇大綱挽は、琉球王国時代の那覇四町綱の伝統を引き継ぐ、長い歴史を有する沖縄最大の伝統文化催事です。地方の農村行事としての綱引きが、稲作のための雨乞い・五穀豊穣・御願綱を起源とするのに対し、町方(都市)の綱として、交易都市那覇を象徴する大綱挽です」
1600年代頃に那覇市辻の遊郭で遊女らが始めたのが由来という説が有力だ。語源に詳しいのが那覇市在住のドキュメンタリー作家の上原正稔氏だ。
沖縄ではかつて、綱引きを「ウナー」と呼んでいた。この語源は古代サンスクリット語で綱を意味する「ユーナ」だという。普通は「つなひき」は「引」という漢字を使うが、与那原町は「曳」、那覇は「挽」となる。その理由を合理的に説明している文書はない。
1839年の古文書「那覇大綱挽之時日記」に「綱挽」としての固有名詞の記述があるというが、上原氏はその文書の存在を否定。「挽」は単なる誤字であると指摘する。
「挽」は棺を挽くという意味で、「挽歌」とはその棺の傍らで歌う悲歌(エレジー)のことだという。上原氏は、「縁起でもない字を那覇まつりの中心に置いて『大綱挽』と全国どこの市町村も使っていない字を平気で使っている那覇市役所、そして『大綱挽保存会』の良識が疑われる」と一刀両断にした。
(T)