市長不在の那覇大綱挽


沖縄発のコラム:美ら風(ちゅらかじ)

 毎年10月の体育の日の前後に開催される那覇市最大の行事といえば、那覇大綱挽だ。今年は12日に開催される。1995年9月に「米藁(わら)で製作された世界一の綱」としてギネス認定登録された行事で、その実行委員長は那覇市長が務める。

 ところが、10月3日付で翁長雄志(おながたけし)那覇市長が退任した。県知事選に出馬するためだ。

 2人いる副市長のうち、城間幹子氏は那覇市長選に出馬。もう一人の久高将光副市長が市長代行として急きょ実行委員長の代役を務めることになる。

 ところで、綱引きの行事で、日本全国を見渡しても那覇市だけが「綱挽」という漢字を使っているようだ。那覇市在住のドキュメンタリー作家の上原正稔氏は20年以上前から、「挽」の漢字の間違いを指摘してきた。「挽」の字は「棺を乗せた車を挽く」ときに使われる字。三省堂の大辞林では「挽く」という言葉は、①刃物などで物を切ったり削ったりする②ひき臼やその他の道具で,粒状の物や肉を細かくする―時に使われる。物を引っ張るという意味はない。

 上原氏によると、那覇の綱引きのことを昔は「那覇四町(ユマチ=東、西、泉崎、若狭)ウーンナ」と庶民が呼び、1812年の「那覇綱引規模帳」では「綱引」と記されている。また、「西東綱挽之時日記」では「綱挽」と記されているが、文書の中では「綱挽」、「綱曳」が入り乱れており、「挽」という漢字が使われるようになった経緯や理由を明確に示す文献は存在しないという。

 「わずか1文字の誤字が沖縄の文化の崩壊を象徴している」と上原氏は嘆く。間違って伝えられた歴史はどこかで修正されなければならないのではなかろうか。(T)