沖縄戦を語らなかった芥川賞作家の大城立裕氏


沖縄発のコラム:美ら風(ちゅらかじ)

 沖縄初の芥川賞作家の大城立裕(たつひろ)さんが先月、95歳で亡くなった。

 大城さんは1925年、沖縄本島中部の中城村生まれ。43年には最後の沖縄県費派遣生として上海の東亜同文書院大学に入学するも,敗戦によって大学が閉鎖となったため中退。戦後、熊本の親類の元で生活した後、46年に沖縄へ帰郷した。その翌年に沖縄民政府文化部の脚本懸賞に戯曲「明雲」を応募。これで作家デビューを果たした。

 67年に発表した「カクテル・パーティー」では芥川賞を受賞した。沖縄を活動の拠点とし、沖縄文学の発展を担っただけでなく、「沖縄文学」を全国に知らしめた功績は大きい。

 文学者としての活動は、小説・戯曲・評論・エッセイ・歴史・評伝・ノンフィクションなど広範。90年に紫綬褒章、96年に勲四等旭日小綬章、2000年に沖縄県功労賞を受賞した。

 「カクテル・パーティー」に代表されるように、米軍統治下に置かれた沖縄の悲哀を描くものが多かった。基地問題や沖縄の文化・風土、政治をテーマにしたものが目立った一方で、沖縄戦について言及する作品はほとんどなかった。

 沖縄県文化協会の星雅彦元会長は、「本人は留学して沖縄戦を体験していないせいか、沖縄戦についてあまり触れたがらなかった」と話す。その上で、「大城さんはぼくの書いた文章をあれこれと訂正したり、意見を言ってくれるなど、やさしい部分があった」と振り返る。高良倉吉琉球大名誉教授は、「沖縄が抱える諸問題や文化をどう見詰めるかということを大事にした人だった」と評価した。

 浦添市で行われた葬儀には、文学の関係者、県民ら約700人が参列し、別れを惜しんだ。書店や図書館では、大城さんをしのぶコーナーが特設されている。

(T)