「公明」の「平成」対談 責任自覚したPKO法

自衛隊参加で野党の分水嶺

 平成時代は今月で最後になる。公明党の機関誌「公明」5月号は、「『平成』回顧から望む新たな潮流」という特集を組み、巻頭で山口那津男代表と橋本五郎読売新聞特別編集委員の対談を載せた。

 この中で、橋本氏は国連平和維持活動(PKO)協力法の成立について「昨年秋に実施された読売新聞の世論調査で、平成時代にあった政治的出来事のうち『良い影響を与えたもの』のトップになった」と指摘し、山口氏は、野党だった公明党が「キャスティングボートを握るという責任を自覚」した出来事だったと述べている。

 戦後昭和の時代にタブー視された自衛隊海外派遣、自民党単独与党が崩れた政権交代は、平成に起きた大きな政治の転機だった。公明党はこの変化に対応した平成の“勝ち組”政党かもしれない。

 対談で山口氏は平成2年(1990年)の初当選後の欧州視察、湾岸戦争(91年)後の中東視察など海外視察を述懐。「バングラディシュで大きなサイクロン被害があった時も現場に行き、24時間自己完結型で動ける軍隊でなければ、十分な支援はできない現実を目の当たりにした。昼は活動、夜はホテルに泊まる日本の国際緊急援助隊では不十分で、実際、日本以外の国からは全て軍隊が派遣されていた」と語っている。

 その上で「国際社会の現場で見てきたことを踏まえ、当時は野党だったが、PKOをやるべきだと実感した」と強調した。「党内でも大変な議論があり、マスコミや他の野党から激しい批判を浴びた」と振り返るが、“護憲野党の掟(おきて)”を破ったわけだ。国連の下の集団安全保障なら自衛隊は参加できるとの憲法解釈も政府から打ち出され、わが国は議論二分となり騒然とした。

 護憲イデオロギー死守か、国際貢献に応じるかで野党は分かれ、反対する社会党は衆院議員137人総辞職届けや、採決に徹夜の牛歩戦術を行った。平成の終わりに片や数議席に凋落(ちょうらく)、片や連立与党の地位を固める分水嶺(ぶんすいれい)になったといえよう。

編集委員 窪田 伸雄