首相答弁に抗議「赤旗」 共産党の「暴力革命」方針
「分裂」にすり替え責任転嫁
安倍晋三首相が衆院本会議で13日に共産党の1950年代の破壊活動について答弁し、同党機関紙「しんぶん赤旗」(2・14)は「安倍首相の衆院本会議でのデマ攻撃に断固抗議する」と題して志位和夫委員長の記者会見を扱った。
答弁内容は、公明党の機関紙「公明新聞」(2・14)の「発言録」という欄にも「『暴力革命』の共産は破防法の調査対象」と題して次のように載せていた。
「日本共産党は1951年から53年ごろにかけて、団体の活動として、革命の正当性、必要性を主張し、各地の党組織や党員が殺人や騒擾(そうじょう)などの暴力主義的な破壊活動を行った疑いがある。現在においても、いわゆる『敵の出方論』に立った『暴力革命』の方針に変更はないものと認識しており、破壊活動防止法に基づく調査対象になっている。(13日 衆院本会議で野党の質問に対し)」
志位氏は、「1950年代に、当時のソ連、中国による干渉が行われ党中央委員会が解体・分裂した時代、分裂した一方の側に誤った方針・行動がありましたが、これは党が統一を回復したさい明確に批判され、きっぱり否定された」(「赤旗」2・14)と、同党のこれまでの主張を繰り返している。
首相の答弁はこれまでの政府見解を述べたもので、共産党が50年代に「山村工作隊」「中核自衛隊」という武装組織をつくり、派出所や警官、地主、税務署などを襲撃し、死傷者を出す事件を各地で起こしたのは事実だ。
それを党に誤りがあったと認めることなく、武装蜂起した当時の共産党トップの徳田球一(戦後初の党書記長。中国に亡命し53年死去)らを「分裂した側」にすり替えて責任転嫁するのは見苦しい言い逃れである。
さらに、敵の出方論に立つ暴力革命についても「首相は、わが党の綱領のどこを読んでいるのでしょうか」と批判するが、暴力路線は51年綱領に従ったもので、その後の改訂で綱領は集票しやすくソフト化を重ねたものだ。が、階級闘争、暴力革命を理論に持つ共産主義と決別せず、堅持しているので“隠し球”を疑う余地があるのだ。
編集委員 窪田 伸雄