宮村流は徹底した事前準備
被害者の体験と目撃現場(12)
宮村流は徹底した事前準備
毎週、新宿西教会で開かれた水茎会の会合では、家庭の内情を吐き出さなければならなかった。会員全てがそうするわけだが、参加者全員を前にしての告白は、まるで1960年代の中国文化大革命の中で起きた自己批判劇の再現だ。こうして、勉強会のプログラムを忠実にこなしながら、親たちは子息“奪回”の思いと協会に対する悪感情を高揚させていく。
親子に信頼関係があるのなら、まず子供に直接話を聞いて正すのが正道だろう。それをしないで、水茎会のような強制脱会を行う組織に頼るのは、親が子供を信じていないからだ。
だが、そうだからと言って、そこに相談に行く人たちの皆が皆、水茎会の教えにはまり、言いなりになってしまうわけではない。「なんだ、ここは監禁をするのか」とその不法に同調しないで会を辞めていく人も少なくない。
水茎会は、会計報告も出さないことが全国霊感商法対策弁護士会連合などの間で取り沙汰され、同連合から締め出され、出入り禁止となった。そのことを見ても、会のやり方に疑問符を付ける人は、協会に反対する人たちの中にも多くいたことが分かる。
一般の人たちは、最初から拉致監禁などという犯罪行為も構わず、と思っているわけではない。ナルド会や水茎会に入って、会のプログラムに乗っていくにつれて、拉致監禁は当然だというふうに教え込まれ判断がマヒするのだ。
勉強会に参加する一方で、宮村氏と個別の相談は、水茎会の事務所である荻窪の西央マンション301号室で行われる。拉致監禁を実行する場合、宮村氏の指導の下、親戚にも応援を得られるように説得すること、前もって何カ月でも仕事を休めるように準備しておくこと、相手も命懸けで信仰しているので家族も命懸けで対処することなど、一つ一つ確認させていくのである。
一方、舞さんは、韓国で協会に奉仕をするいわゆる任地生活を終え、家庭を出発するということになり、夫の住む地元で礼拝などに通うようになっていた。家庭を持ち子供ができると、なかなか実家に帰る機会もないだろうと、96年1月中旬に一時帰国することになった。その予定を家族に知らせたのである。
そのころ、舞さんの母親は水茎会の勉強会に参加しながら、既に宮村氏との面談などで、再び拉致監禁を実行する以外に娘との良好な関係を取り戻す手段はないという一念に凝り固まっていた。舞さんから帰国予定の連絡が入った時、母親は、この機を逃せばもう二度とチャンスは訪れないと判断したようだった。
件の西央マンションで、母親は宮村氏らと打ち合わせを詰めた。親戚の人たちに連絡を入れ、さらに宮村氏からも親戚に話をしてもらい協力を要請した。事前に徹底的に準備しなければ拉致監禁に手を染めない、というのが宮村氏のやり方だった。
(「宗教の自由」取材班)