美しい人生の落葉の時を過ごしたい


 最近、高齢者の運転する車による事故が気になる。9日には、愛知県で74歳の男性が運転する乗用車が散歩中の保育園児の列に突っ込み、園児7人が軽傷を負った。運転男性は体調不良を訴え病院に搬送されたが意識不明の重体だという。同じ日に東京都国分寺市では、80代の男性が運転する車が牛丼チェーン「吉野家」の店舗に突っ込んだ。こちらは男性が「アクセルとブレーキを踏み間違えた」からだという。

 いずれも被害者側は大事に至らなかったが、「生産年齢」からはみ出しかけている筆者としては、ひとごとと思えない。日常生活の中で、集中が長続きせず、限界近くなると目がかすんだり、何気なくかがんだり越えたりしていた所で頭を打ったり、つまずいたりすることが頻繁になってきているからだ。

 人生は誕生から始まって成長、成熟、衰退を経て死に至る。昔からよく朝、昼、夕、夜という1日、あるいは春、夏、秋、冬という1年に例えられてきた。もちろん頭では理解できるし、「朝は4本足、昼は2本足、夕は3本足の生き物は何か」などというスフィンクスの謎掛けを通して「なるほど」と思ったことはあるが、自分が成長、成熟期にある時にはそんなに実感できるものではなかった。

 しかし、この年になると、まさしくその通りだと思う。1日も然(しか)りだが、枯れ木や枯れ草の中から新芽が出て何もかも新鮮な息吹が感じられる春が過ぎて、炎天下の夏を汗を流しながら忙しく過ごし、秋の収穫の時を経て紅葉が落ち、雪で埋もれた静かな冬を迎える――この1年の移ろいは実にダイナミックな人生のアナロジーだ。

 夏に光合成で多くの栄養分を木に送っていた葉は、木が実を結び、太陽の光が弱くなると、今度は木本体のエネルギー節約のため、自らの葉緑素を分解した養分を木に送って紅葉し、最終的には落葉していくのだという。人生も美しく落葉したいものだ。(武)