心が躍るような政治家や知識人はいないのか


 よく、スポーツは「筋書きのないドラマ」と言われるが、人の知恵では構想できないような劇的な展開によって見る者を感動させてくれる試合やレースが、しばしばスポーツにはある。東京五輪前は、米大リーグの“二刀流”大谷翔平選手の活躍がそれに該当した。五輪が始まってからは連日、メダルを獲得したり、予想を超える成績を挙げた選手たちのドラマにハラハラ、ドキドキしながら心が鼓舞され、その偉業直後に発せられる一つ一つの言葉に感動し、それを可能にした技術や精神力の鍛錬の裏話にジーンとさせられた。

 なぜ、彼・彼女たちにこうまで感動するのだろうか。筆者は、選手たちの口から、相手選手や競技環境に対する不平や不満、批判の言葉が出ないことに鍵があると思う。スポーツの世界では、他人や環境を批判しても負け犬の遠ぼえにしかならないことが、結果ではっきりと示される。勝つためには、トップに立つためには、他人や環境に百万の言いたいことがあっても、黙ってそれをのみ込んで自分を鍛える。自分の限界を超える。頂点に立つための最良の道を探して、その道を一歩一歩、地道に踏み固めていく以外にない。その真っすぐな心根と気が遠くなるような努力に人は感動し、拍手喝采を送るのだろう。

 現実の世界を見ると、不平や不満に便乗して、批判を専門とする政治家や知識人が山のようにいる。西欧の思想家などの言葉を引用して自分の主張に箔(はく)を付け、相手を見くびったように批判するのが得意な人文系の知識人や、政府の批判は機関銃のように出てくるのに、自分のことは言葉を濁したり逃げまくる政治家も少なくない。そんな姿ばかりを見ていると、心がふさぐ。

 自分の持てる力を総動員して日本が直面する国家的危機を脱するための処方箋を示し、それを実現するために地道な努力を重ねて国民の心を安らかにする、心が躍るような政治家や知識人はいないのか。

(武)