永遠の「連隊旗手」、石原慎太郎氏の政治と文学
保守論壇 三島由紀夫との対談、真剣勝負で吐露した原点
今月1日亡くなった石原慎太郎氏は、衆院議員や東京都知事など政治家として活躍する間も作家活動を続けた。同じく保守の論客で文壇のスターだった三島由紀夫との対談をまとめた、『三島由紀夫石原慎太郎全対話』(中公文庫)は、友人でありライバルでもあった二人がなれ合いを排し、真剣勝負で臨んだ対談が収められている。
政治家、作家、そして一人の人間としての在り方を語り合う中で、両者の行動の根底にある人生観、世界観が激しくぶつかり合い、時に火花を散らす稀有(けう)な対談だ。
巻頭の対談「新人の季節」は、石原氏が「太陽の季節」で芥川賞を受賞した昭和31年の『文学界』4月号に掲載されたもの。冒頭、先輩で文壇の「万年連隊旗手」を自任する三島が、石原氏に連隊旗を渡したいと言う。これは新人・石原氏へのあいさつ言葉にすぎないようだが、その後の二人の関係や石原氏が文壇さらにそれを超えて日本の言論界で果たした役割を観(み)たとき、実に先見性と予言性を持った言葉である。
この対談集は三島の自決から50年の一昨年、文庫のオリジナル版として出版されたものだが、三島がいかに石原慎太郎という政治家となった作家を意識していたかがよく分かる。三島の「楯の会」結成と自衛隊乱入の末の自決の背景に、石原氏への対抗心があったことは否めないと感じさせる。石原氏も何度か対談もした先輩・三島のことを常に気に掛けていた。それだけに、作品の理解も深いものがあった。三島の遺作『豊饒の海』第四巻『天人五衰』の最後の場面を読んで、三島がたどり着いた虚無の深さと作家としての衰弱に涙している。
なれ合いを排した真剣勝負の対談(実際三島は、真剣を持参し居合を披露した)が、三島由紀夫という作家の心の奥にあるものとその生地をいや応なく露出させる一方、石原氏の政治や文学の根底にあるものを浮かび上がらせる。
昭和44年11月に行われた最後の対談「守るべきものの価値」では、三島の「あなたは何を守っている?」の問いに、石原氏は「ぼくはやはり自分で守るべきものは、あるいは社会が守らなければならないのは、自由だと思いますね」と答える。「でも自由にもいろんな自由があるからね」という三島に石原氏は「僕の自由はもっと存在論的なもので、(中略)つまり僕が本当に僕として生きていく自由」と答える。
共に保守派とみられる両者だが、日本文化の本質について、その中心に「天皇」を掲げる三島に対して石原氏は日本文化の一体性や不変性を保障するのは日本の「風土」であると言う。「天皇とか、三種の神器を座標軸に持ってくるのは簡単だけれども、それだってやはり日本の風土とか、伝統をつくった素地というものが与えた伝統の一つでしかなく、一番本質的なものではないんだな。ただの一つの表象です」と。
これに対し三島が反論し議論は深まっていくのだが、この思考の違いは、文学青年から出発した三島とヨットやサッカーに親しんだ石原氏の素地の違いからくるものだろう。それらを含めて、三島は石原氏にとって懐かしい人だった。
この本に収録された2010年のインタビューで石原氏は言っている。「三島さんが死んで日本は退屈になった。これで僕も死んだら、日本はもっと退屈になるだろう(笑)」
日本や世界をめぐる状況は、退屈でいることも許さない、深刻さを増している。そんな時に、老いても意気盛んだった保守論壇の永遠の「連隊旗手」を失った。その喪失の大きさを、これから知ることになるのだろうか。
(特別編集委員・藤橋 進)