尊王攘夷の原点、人間と現実が生む思想の物語
片山杜秀著『尊皇攘夷 水戸学の四百年』を読む
大手出版社が主宰する著名な評論家の名を冠した賞の受賞者と、昨年暮、話す機会があった。
その時その著述家は、今一番注目している書き手として2人を挙げ、その一人が政治思想研究家の片山杜秀(かたやまもりひで)・慶應義塾大学法学部教授だった。お互いの意見が一致した。片山氏が昨年出した『尊皇攘夷 水戸学の四百年』(新潮選書)についても、「すごい本」と絶賛口調だった。
片山氏は、政治思想史主にナショナリズムを研究し、日本の総力戦体制について論じた『未完のファシズム』(新潮選書)で司馬遼太郎賞を受賞。
その一方で音楽や音楽批評に関する著作で吉田秀和賞とサントリー学芸賞を受賞するなど、文化・芸術への見識も併せ持つ。それは単に多才というだけでなく、専門の政治思想と文化や芸術への入れ込みが相互作用を起こしているように見える。
片山氏は「水戸の歴史はいつも維新史を先取りしていた」と言うが、これは多くの人が持つ感想だろう。イデオロギーとしての水戸学の力は大きかった。『尊皇攘夷』は、その出発点となった水戸学の成り立ちとその歴史上の展開を描いたものだ。
まず語られるのは、文政7(1824)年に北茨城の海岸にイギリス人12人が上陸した大津浜事件。これこそ「幕末攘夷思想の一大原点だろう」という。この時、イギリス人を取り調べた会沢正志斎は、「新論」を執筆し、それが攘夷志士たちのバイブルになった。
副将軍家がなぜ尊皇に? パラドックスを解く
水戸学を語るとき、まず浮かぶ疑問は、なぜ御三家の一つで天下の副将軍の水戸家で強固な尊皇思想が打ち立てられたかということだ。片山氏はこのパラドックス(逆説)を、水戸学の祖、徳川光圀の人生、水戸藩に家康が課した役割、さらにその時代の東アジア情勢から解いていく。
決定的だったのは、個人としても天下の副将軍としても強固な思想を必要としていた光圀と清朝によって滅ぼされた明の朱子学者朱舜水との出会いだった。その朱舜水には日本に「中華」を期待した節があり、それがまた水戸学に影響したとみるのである。
難しい歴史・思想を語りながら、納豆や水戸黄門の話、さらに若い頃の水戸光圀が熱中した三味線など脇筋の話も興味深い。筆も生き生きと運んでいく。
朱子学に基づいた水戸学が、天皇絶対の後期水戸学へと変容したことについては、思想的な展開を跡付けながらも、それを勢いづかせた背景には1770年代後半からロシアの影が徐々に北日本を覆い始めたことを挙げる。「非常時の往来。歴史を検証する暇はない。天皇絶対の論理で徹底武装し、どんな無理難題も乗り切ろう」というわけで、そこに「国難に人一倍敏感な水戸学の宿命」を片山氏はみる。
西洋と違い、超越論的な思想風土が薄い日本においては、思想においても「人間」や「現実」が大きく左右する。
そういう点では、思想の誕生や展開においても生身の人間や歴史的な現実に目配りして初めて納得できるものが少なくない。水戸学の展開もそれが如実に表れていると感じさせられた。
政治的、思想的にも複雑な展開を見せる維新史、特に思想と政治のダイナミックな相互作用が明快に絵解きされたというのが、この本を読んでの感想だった。生身の人間への理解なくして思想や歴史の真実には迫れない。
(特別編集委員・藤橋 進)