人々の協力で再生した、樹齢1600年以上の巨樹シンパク
香川県小豆島の土庄町にある高野山真言宗宝生院
国指定特別天然記念物、応神天皇のお手植えと伝わる
香川県小豆島の土庄町にある高野山真言宗宝生院には、応神天皇のお手植えと伝わる樹齢1600年以上のシンパクの巨樹があり、国指定特別天然記念物になっている。平安時代初期、弘法大師は生まれ故郷の讃岐と京を往来する途上、しばしば小豆島に立ち寄り、各地で修行を行った。やがてその場所が小豆島八十八箇所霊場となり、宝生院本堂は第54番札所。近年、衰退が危ぶまれていたシンパクが人々の協力で再生。その取り組みを同院の髙橋寿明(じゅみょう)住職に伺った。
古代から地域の人たちに敬われてきた宝生院のシンパクは、大正時代から保存会により守られ、昭和40年には大規模な支柱設置工事が行われた。髙橋さんが住職に就任した平成26年の翌27年、第28回巨木を語ろう全国フォーラムが小豆島で開催されるのに先立ち、全国巨樹・巨木の会や一般社団法人日本樹木医香川県支部などの健康診断で、「良」から「枯死寸前」までの5段階評価でⅢの「不良」でやや衰退気味と診断された。
それに基づき、見学者が根元を踏み固めないよう周回木道の設置や土壌改良などが計画され、平成28年から5年かけて国庫補助事業として再生事業が実施された。工事は12月から2月までの根が水を吸い上げない時期に行われた結果、青葉が生き生きと樹勢が回復してきている。髙橋さんは「再生事業が実施されたのは、そもそも木の持つポテンシャルが大きく、国指定特別天然記念物の命を守る事業に関係者の心が一つになったから」と語る。
事業経費は約1460万円で、文化庁が2分の1、県が6分の1、土庄町が6分の1で、残りの約300万円が宝生院など地元負担。「檀家を超え地元の人たちが保存会を立ち上げ、地元の造園業者も名誉な仕事だからと格安で協力してくれ、支援者からの募金でほぼ賄うことができた」と髙橋さん。再生したシンパクの魅力を全国に発信していきたいと抱負を膨らませている。
髙橋さんは1981年、土庄町の生まれで、在家から高野山大学に入り僧侶になった。「高校3年で祖父を亡くした折、高野山で修行していた従兄弟を訪ね、寺の町の風景に衝撃を受け、出家してみたいと思った。高野山で10年、善通寺で4年修行し、住職を探していた宝生院に入った」という。
住職になる時、高野山真言宗の松長有慶管長(当時)にもらった書が「共利群生」、「生きとし生けるものは、共に学び助け合う」という高野山の教えで、宝生院にふさわしい。「シンパクを見に人々が集まり、しめ縄を年に一度、取り換えてくれる。そうした人々の営みに即して、仏教の教えもやさしく説いていきたい」と語る。
シンパクはヒノキ科の常緑高木で、自然に枝が捻転(ねんてん)し白くなるため、盆栽に好んで使われる。高松市鬼無(きなし)町は盆栽の産地で、今では海外の盆栽ファンにも販売している。
第15代応神天皇の事績が小豆島各地に多いのは、当時、瀬戸内海が畿内と大陸・半島を結ぶ航路で、皇后が吉備(岡山)の生まれだったからだろう。記紀には、吉備へ行幸する途上、淡路島で狩りをし、小豆島に立ち寄り、行宮(あんぐう)を設けたとの記載がある。
応神天皇は軍神の八幡神と同一視され、明治の神仏分離まで、宝生院は双子浦を望む山の上にある富丘八幡神社の別当寺だった。今、境内には旧八幡宮が設けられている。
「雨の少ない小豆島で、これほど長く生き続けているのはまさに奇跡で、シンパクを見て命の力強さを感じてもらえればと思う。耳を澄ますと、人間の寿命をはるかに超えて、当地の歴史を見続けてきたシンパクが語り掛けてくるように感じる」と髙橋さん。
「シンパクを題材に生命の大切さ、仏教の生命観を語っていきたい」と意気込む。
(多田則明)