日本・ウズベク間に固い絆、加藤九祚氏を偲ぶ
テルメズ近郊の古代仏教遺跡の発掘に余生を捧げる
文化人類学者で国立民族学博物館名誉教授などを務めた加藤九祚(きゅうぞう)氏は、1988年以降ウズベキスタンのアフガニスタン国境の町テルメズ近郊の古代仏教遺跡の発掘に余生を捧(ささ)げた。ウズベキスタンの教科書にも載るなど、同国と日本の民間交流の要となってきたが、2016年9月、テルメズで発掘中に倒れ、同地の病院で亡くなった。94歳だった。
加藤氏がかつて日本ウズベキスタン協会でのトークで、カラテパ遺跡でストゥーパ(仏塔)を発掘した時の興奮と喜びを語った時、最後に「畳の上で死にたくない」と言ったのを思い出した。本望を果たしたとも言える。今回テルメズを訪れる機会を得て、加藤氏ゆかりの場所を訪ねその足跡を偲(しの)んだ。
カラテパ遺跡と近接のファヤズ・テパ遺跡は、背の低い叢(くさむら)が点々と生える砂漠に限りなく近い野原にある。この辺りはウズベキスタンでも最も暑い土地で夏にはセ氏50度近くになるという。ファヤズ・テパは現在タシケントの国立歴史博物館に収蔵されている有名なクシャン朝の三尊仏(2世紀頃)が発見された遺跡。日干し煉瓦(れんが)造りの仏塔があり、後に造られたドームに覆われていた。案内の人がその扉を開けて仏塔を見せてくれた。スマートフォンに収めた、日本や韓国からの巡礼者の写真も見せてくれた。
カラテパ遺跡まで来ると、アフガンとの国境アムダリア川が見え、川に沿ってフェンスが続く。こんなに国境に近い所で、炎熱の中を加藤氏は黙々と発掘に励んでいたのである。
発掘には加藤氏の斡旋(あっせん)で日本からは大正大学のチームが参加してきたが、2016年には彩色された壁画が見つかり注目を集めた。遺跡の上は大きな屋根が組まれている。
暗くなっても黙々と発掘作業する姿、羊飼いの女性も記憶
別の日に同じく仏教遺跡のあるダルヴェルジン・テパを訪ねた。ここには加藤氏にちなんだ名前の小学校があり、加藤氏が発掘に来た時、宿泊所とした「加藤の家」がある。加藤氏が使っていた粗末なベッドも遺(のこ)されていた。現在もウズベキスタンの考古学チームが使用している。
遺跡の方に行ってみると、夕暮れが迫っていた。近くで羊飼いの女性が、そう多くない羊の番をしていた。何とも言えない雰囲気を持っている。ガイドのバルノ女史が話し掛けると、加藤氏のことを覚えており、こう語った。「加藤さんは私よりだいぶ年を取っているのに、暗くなっても黙々と発掘していた。偉い人だ」
加藤氏とは一緒にサマルカンドの大学や博物館を訪ねたことがあるが、どこに行っても敬愛されていた。しかし、この羊飼いの女性までが加藤氏のことを尊敬の念を持って懐かしく思い出しているのには少なからぬ感動を覚えた。政府から友好勲章を受け、テルメズ名誉市民であり記念公園の造成も計画されている加藤氏だが、基本はこういう人と人の心の交流にあったのである。
加藤氏との親交を重ね、今回テルメズに同行した田中哲二・中央アジアコーカサス研究所長は、日・ウ交流で果たした加藤氏の貢献は大きく、その穴を埋めるのは容易でないとし、「経済交流だけに頼らない、層の厚い民間・文化交流について改めて考える時期にきている」と述べている。
(特別編集委員・藤橋 進)