西洋モダンアートの影の立役者は日本?


現代美術の主導権握ったNY、戦禍の弾圧を避け集中

 戦後の現代美術の主導権を握ったのはニューヨークだった。フランス発のアンフォルメルも、やがてアメリカの抽象表現主義に取って代わられ、戦時中に戦禍の弾圧を避けるために渡米した有能な芸術家とアメリカに集中した富がニューヨークを芸術の発信地にした。

 その後、アクションペインティングやポップアートを生んだアメリカは1970年代、世界のアートを牽引する存在となった。だが、そこに至るには半世紀前、アメリカ近代写真の父と称された写真家、アルフレッド・スティーグリッツの周りに集まった、通称、スティーグリッツ・サークルがあった。フランスのエコール・ド・パリに続く文化人の集まりだった。

決定的影響を与えた女性画家、ジョージア・オキーフ

西洋モダンアートの影の立役者は日本?

「Jimson Weed / White Flower No.1」1986-1987 Georgia O’Keeffe © Musee GeorgiaO’Keeffe / Adagp, Paris Photography © Crystal Bridges Museum of American Art,Edward C. Robison III

 その中に当時は珍しい女性画家、ジョージア・オキーフがいた。彼女こそ、アメリカのモダンアートの先駆け的存在であり、世界的評価を生み出した戦後のアメリカン・アートに決定的影響を与えた人物だ。

 若かりし頃のオキーフが生きたアメリカは、欧州同様、伝統的キリスト教文化を根幹とした西洋文明が科学と産業革命で根底からの転換を迫られた時代だった。ジョージア・オキーフは、その時代の大転換をいち早く察知し、しかもニューヨークの斬新なアートの世界で男性と肩を並べて評価された女性画家だった。

 彼女のフランス初の回顧展「ジョージア・オキーフ」展(12月6日まで)がパリのポンピドゥーセンターで開催されている。同センターが最も力を入れる秋の特別展にオキーフが選ばれた。1887年生まれで98歳まで生きたオキーフの長い人生には、時に絵を諦め、時に評価が下がるなど、浮き沈みもあった。

モチーフは身近なもの、調和して生きる東洋精神に学ぶ

 だが、夫亡き後、60代後半から30年以上過ごしたニューメキシコ州のアビキュー村の家の生活は多くの伝説を残した。彼女の家は、歴史が溶け込む砂漠の自然とモダンが同居するオキーフ作品のような建物だ。彼女は孤高を好み、人を近づけなかったといわれる。

 モチーフは牛の頭蓋骨や花、石など身の回りにあるものだ。彼女の愛読書の岡倉天心の『茶の本』には、身近なささいな存在や移りゆく自然に心を傾けると「自分を超越するものと調和して生きられる」とある。自然と共存し、調和して生きる東洋の精神を、ニューメキシコの荒野で、たった一人で彼女は実践した。

 興味深いのは、オキーフがどの程度、岡倉天心の言わんとしたことを理解したかは確認する由もないが、フランスを中心にヨーロッパに広がったジャポニスム同様、アメリカにも認められるジャポニスムとの関係だ。米版画家ヘレン・ハイドは浮世絵そのものを模倣し、エキゾチズム的興味を示したが、オキーフはもっと本質的な日本の精神文化を見ていたように思われる。

 アメリカでやがて生まれた抽象表現主義やポップアートの影に日本の精神が影響を与えた事実には感慨深いものがあると言わざるを得ない。

 仏美術誌コネッサンス・デザールは、「植物と鉱物の宇宙を引き出し、崇高に捧げられた精神的な風景」と彼女の作品を評している。

(安部雅延)