陳腐なオバマ氏の一般教書

Charles Krauthammer米コラムニスト チャールズ・クラウトハマー

見るべき成果ない外交

過去のフレーズを繰り返し

 【ワシントン】オバマ大統領の12日夜の議会での演説は、国家の現状というよりも、大統領職の現状について物語るものだった。

 知的消耗の兆候があちこちに見られる。3点だけ取り上げて検討してみよう。シリアで成功し、国外での米国の地位を高め、「イスラム国」(IS)に対して優位に立っていると訴えたが、その後、すでに陳腐化した点に言及し、「正義を実行するという米国の約束に疑念を持つなら、ウサマ・ビンラディンに聞けばいい」と語った。

 本当にそうだろうか。5年たってこれだけということか。

 まさにその通りだ。ほかに言うことはないのだろう。クリミアはどうだ。イエメン、リビア、イラク、南シナ海、タリバンの復活はどうだ。

 オバマ氏は「世界での米国の地位が、私が選出された時より高まっていることは、調査が示している」と自慢げに語った。「調査」と言った。まるで超大国の影響力はミス・ユニバースのコンテストと同じとでも言っているようだ。米国の同盟国が戸惑い、敵が進軍し、米兵らが武装したイラン人の前でひざまずき、手を縛られ謝罪を強要されているのを世界中が見た。その上、米兵らの解放後、国務長官がイランに謝意を表明した。

 国内での今後の予定は、レームダック大統領らしく、それほど多くはなかった。だが、いまだに「新型月探査ロケットの打ち上げ」への意欲を持っていることには驚いた。がんの治療をめぐる発言もそうだ。

 今の時代に、月面に人を送ることができるかどうかで、どうしてその国が偉大だと言えるのか。時代錯誤で陳腐な発言はまだある。「がんを治せる国」だ。オバマ氏のスピーチライターは、ニクソン大統領が1971年に最初にがんとの闘いを宣言したことを知らないのだろう。

 米国で最もリベラルなビジョンを持つこの人物の思考の食器棚の中がいかに貧相であるかは、演説の最後の驚くべき時代錯誤発言からよく分かる。それは、聴衆を刺激し、興奮を高めることを狙ったものだ。リベラル派の人々にとっては効果があった。声の調子が上がるたびに興奮は高まり、オバマ氏は新しい政治の導入を呼び掛けた。党派を超えた相互理解の精神、適切な情報開示、敵対する相手への尊敬などだ。

 再び、希望と変化の到来だ。2008年に逆戻りしたかと思った人もいただろう。オバマ氏の、新しく高邁(こうまい)な政治を行うという、心を打つ、扇情的な約束に若者は熱狂し、テレビ番組の司会者は身震いした。そしてホワイトハウスを手に入れた。

 さらにさかのぼって04年、オバマ氏は民主党大会の演説で「黒いアメリカ人も、白いアメリカ人も、ラテン系アメリカ人も、アジア系アメリカ人もいない。ここはアメリカ合衆国だ」と訴えて全米を感動させた。

 オバマ氏は12日の夜、あの過去の約束とほとんど同じフレーズを繰り返した。「何よりもまず、自らを、黒とか白とか、アジアとかラテンとか、ゲイとかストレートとか、移民とか米国生まれだとか、民主とか共和とかと見るのはやめ、アメリカ人として自分を見よう」

 守護天使を招集するかのようなこの説教に、コメンテーターらが一斉に喝采を送った。困ったものだ。12年前、この言葉にうまく引っ掛かったのは分かる。しかし、今回は何なのか。陳腐な言葉をまた持ち出した。まるでゴルフの打ち直しだ。変革のビジョンを掲げて大統領を2期務めながら、ニクソン以来の対立を生み、党派的で偏向した大統領となった人物の言葉だ。

 理にかなった演説であり、敵対勢力にも敬意を払ったと言われるが、11年から12年にかけて、共和党は権力にばかり執着し、米国の今後が気掛かりだと国中を遊説して回った人物であることは忘れてしまったのだろうか。

 イラン核合意に反対する人々を、「アメリカに死をと叫ぶ」イラン人と「同じだ」と非難したのは誰だったろう。

 ポール・ライアン氏が思い切って提案し、議論を呼んだ補助金改革については、ホワイトハウスが招待し最前列に座ったライアン氏を前に演説を行い、この提案は非アメリカ的だと切って捨てた。

 その上でオバマ氏は、高邁な政治理想を再発見したとして、「建国者らが統治機関の…各部門間の権力の分立」を実現したことに対して何よりも敬意を払いたいとした。だがオバマ氏は、一方的な大統領令で、長期にわたって繰り返し議会の立法権限を侵害してきた張本人でもある。刑事司法制度から気候変動、移民まであらゆることで大統領権限を行使してきた。

 憲法修正第22条は素晴らしいと思う。2期務めれば、大統領は消耗する。最後の一般教書演説で立候補した時に表明した空約束を繰り返すなどあり得ない。権限を侵害する大統領などいなかったかのようだ。

(1月15日)