「私はパリ」は戦争宣言だ


 イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」による「同時テロ」事件で少なくとも129人の犠牲者を出したフランス国民は今、そのショックから立ち上がろうとしている。今年1月7日に起きたイスラム過激派テロリストによる仏週刊紙「シャルリーエブド」本社とユダヤ系商店を襲撃したテロ事件直後、パリ市民は「「Je suis Charlie」(私はシャルリー)」と書いた紙を掲げ、犠牲となった週刊誌ジャーナリストを追悼した。同じように、パリ市民は壁やパンフレットなどに「私はパリだ」(Je suis Paris)と書き、連帯感を表している。

 仏主要メディアは15日、1面の紙面に「私はパリ」「今回は戦争だ」と書き、批判を表明した。若い男性は、「自由、平等、友愛はわが国の価値観だ。テロリストはそれを踏みにじった」と述べ、「私はパリだ」と書いた理由を説明していた。

 人は自由を求める存在だ。取り巻く環境、社会が自由を制限するならば、それを突破して自由を獲得しようとする。中世時代からカトリック教会の伝統や慣習に縛られていたフランス国民が起こした革命はその代表的な例だろう。人間本来の自由の謳歌を求めたルネッサンス運動は当時のフランスに影響を与えていた啓蒙思想と結びついて1789年、フランス革命を引き起こした。

 その革命で獲得した成果の一つが「言論の自由」だった。だから、イスラム過激派テロリストの風刺週刊紙本社襲撃事件直後、300万人以上のフランス国民が反テロ国民行進に参加した。行進に参加した国民は同週刊紙の愛読者だけではなかった。むしろ、「言論の自由」という革命の成果が攻撃されたことに対する憤りが強かった。

 ところで、ソフトターゲットの今回の「同時テロ」事件は1月テロとは明らかに異なっている。週刊紙本社を襲撃した1人のテロリストは、「市民を殺害する考えはない」と語っていたという。彼らのターゲットは「シャルリ―・エブト」紙でイスラム教創設者ムハンマドの風刺を書いたジャーナリストたちだった。 しかし、今回は市民を狙った無差別テロだ。それも可能な限り多くの市民を殺すことが彼らの狙いだった。その意味で、パリ市民にとって今回のテロは自分たちが狙われていたことを肌で感じた事件だったわけだ。

 1月のテロ事件直後、オランド大統領の呼び掛けて約300万人の国民が抗議行進をしたが、国民がテロのターゲットとなった今回、この種の大集会、抗議行進は一切行われていない。この違いはどこからくるのだろうか。もちろん、新たなテロが起きる危険があったから、抗議集会や行進は出来なかったという理由もあるが、それだけではない。

 前者は「言論の自由」を守るという大義がはっきりとしていたが、今回はそのような大義は見当たらない。守らなければならないのはわれわれ自身だ。厳密にいえば、われわれの生命だ。

 オランド大統領が表明したが、「フランスは今、テロとの戦争に入っている」からだ。抗議行進の時ではないのだ。武器を持って戦地に赴き、テロリストと戦争をしなければならない時なのだ。だから、オランド大統領は非常事態宣言を表明したわけだ。

 「言論の自由」の大義のため戦争を始める国はないが、「国民の命を守る」ためには戦争を始める。「戦争宣言」は主権国家の3条件、領土、国民、主権が蹂躙された時、それらを守るための最後の手段だ。繰り返すが、「フランスは今、戦争下にある」と述べたオランド大統領の発言は指導者のレトリックではなく、同国が置かれている現状を正確に表現した言葉なのだ。

 戦争下に入ったフランスは17日、欧州連合(EU)国防相理事会で加盟国に対し、EU基本条約に基づき集団的自衛権の行使を求めた。その結果、「私はパリ」は「われわれはパリ」となり、欧州全土が対テロ戦争下となった。一方、国連安保理事会は20日、ISに対し、あらゆる手段を駆使して戦うことを求めた決議案を全会一致で採択した。それによって、ISへの戦争宣言は国連の全加盟国に及ぶことになった。もちろん、日本は国連加盟国である限り、ISに対して戦争宣言をしたパリと同じ立場となったわけだ。

(ウィーン在住)