”郷土愛”で逆境乗り越え(福島県 二本松市東和地区)

人口減少社会を超えて 第1部・先駆けの地方移住 (7)

地域の人たちが開墾手助け

 都会から移住者を呼び込もうと、多くの自治体が取り組みを強化している。移住情報や各種支援制度など移住希望者のサポートに取り組んでおり、農業研修で給付金を支給する所もある。しかし移住歴12年の関元弘さんは支援については概してクールな見方だ。

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戊辰戦争で「二本松少年隊」を生んだ二本松市。JRの同駅前にはその少年像が立っている(片上晴彦撮影)

 「行政の支援は十分でない。でも支援し過ぎてもよくない、支援は諸刃の剣です」と。「各市町村が(研修期間などの)条件を作って(給付金などを)出すというと、『素晴らしいサポート体制だ』という点ばかりが注目され、その地域に対する愛着もご縁もない人がやって来る場合がある。でも、その人たちは、ちょっと逆風が吹いたり、挫折した時に、『じゃあ次の所に行く』ということになりかねない、それがすごく心配です」

 全国新規就農相談センターによると、新規就農者の約3割は生活が安定しないことから5年以内に離農している。

 関さんの農事事始めは2反の畑で、今は1町歩(1反=約10アール、1町歩=10反)ほどだが、最初は耕作放棄の桑畑。自分一人で更地にした状態からスタートさせるのは、とてもできないことだった。その窮状を見かねた地域の人たちが仲間内に声を掛けてくれ、元重機のオペレーターなども駆け付け開墾の手助けをしてくれた。

 地域には必ず中心的役割を担う人物が存在し、その人は経済行為を超えた共同の精神を持っているものだ。関さんの場合も、移住早々、そういった師匠格の人と出会い、何でも相談し、よく助けてもらい、そして自立した。

 「(移住先にできた)郷土愛や地域とのつながりこそ、ずっと住み続けようという気にさせてくれるし、逆境の時、踏ん張ることができるのです」

 現在、関さんの年収は400~500万円。「都会では派遣やバイトで二、三百万の収入しかなければ生活が厳しいが、ここらでは、それだけ稼げばまず困らない。その点は『本当に田舎で食えるのか』と思っている都会の人たちによく知ってもらいたい。逆に、都会の人たちの暮らしが心配になるほど」という。

 例えば「住」。関さんの住居は2階建ての居宅と2カ所の作業場があるが、年間18万円で借りられる。また農業をしながら自宅住居を「農家民宿」に使っている人もいる。最近は、観光ではなく、田舎の環境を楽しみたいという都会の人たちが増え、旅行社がそのためのツアーを定期的に組んでいるからだ。その人たちの宿泊の便宜を図っており、その収入も少なくないそうだ。

 関さんも民宿の営業許可を取っているが、「ここで生まれた子供2人は小学生と幼稚園。まだ小さいので、民宿の看板を出してはいるが、ウエルカムはしない」という。

 今、二本松市では東和地区のほか、5地区の中山間地を抱えており、新規就農者の移住、誘致に力を入れる。

 「都会から田舎へと移り住み農業をなりわいとして生活を始める人が増えており、東和地区には20~30人の移住者がいます」(二本松市地方創生係・引地知子さん)。移住促進の成否は歴史ある町の今後に大きな影響を与えそうだ。

(第1部終わり)

(人口減少問題取材班・片上晴彦、石井孝秀、湯朝肇)