IT企業から漁師に (島根県・海士町)
生涯の仕事と子供を得る
海士町にある建設会社、飯古建設では海洋事業部門で定置網漁業を行っている。社員の漁師ほとんどが島外からの移住者だ。仕事現場を見ようと漁港に足を運んだ。
その日は天候が悪く小雨が降り、波も高かった。早朝、約10人の漁師たちと共に船に乗り込むとそのまま沖へと向かった。波のうねりが伝わり、船体が縦横に揺れる。だんだんと気分が悪くなり、胃酸が込み上げてくるのが分かる。それをなんとかこらえて、網を引き上げる漁師たちの姿をカメラに収めた。
海が荒れる中で、船から身を乗り出してロープをたくし上げていく漁師たちの姿はまさに命懸けだ。漁の合間に漁労長が「漁は自然が相手。戦いに負けないという強い気持ちが必要だ」と話していたのが印象に残った。
定置網とは海中に大型の網を設置して魚を捕らえる漁法。網で周囲を囲って魚の通り道を作り、捕獲用の網に魚を誘導する仕組みになっている。時にはカジキマグロやマンボウ、ウミガメ、クジラが掛かることもあるという。
港に戻り獲(と)れた魚を仕分けしていくと、特に多かったのはイシダイだった。刺し身にするとおいしい魚だ。
船酔いになりかけた話をすると、漁師の一人が「吐かなかっただけで大したもの」と褒めてくれた。漁師たちも入りたての頃は船酔いに悩まされるそうで、一人前の漁師になるには3~5年はかかるという。
彼らがどういった経緯で漁師になったのか尋ねてみた。
今年で5年目という日高正樹さん(38)は、以前は東京でIT会社に勤めていた。携帯電話会社のトラブル対応をしていたが、24時間昼夜のない生活を続けていくと、次第にこの仕事を続けられるか疑問を感じるようになった。
一生続けることができて、興味を持って取り組める仕事は何かを考える中で、海の生き物が好きだったので漁業関係をやろうと決めた。
定置網の仕事を始めてみると「朝晩がはっきりして体のリズムが良くなった。あのまま(東京で仕事を)やってたら鬱(うつ)になってたかもしれない」と日高さんは言う。網の中に入っていた見たことのない魚を調べるのも楽しく、「その場所でしかできない興味のある仕事」だったという。
生活面での大きな変化は子供ができたことで、「東京では子供をつくろうという余裕もなかった」そうだ。日高さんは「都会よりも子供をここで育てた方がのびのび育つんじゃないか。良い環境も多いし、外で遊ぶ子が多い」と教育面のメリットを挙げた。
事業主である同社の田仲寿夫社長は、20年以上前に経営不振に陥った定置網の運営を「漁業を島からなくすわけにはいかない」と引き受け、現在まで続けている。
定置網の漁師ほとんどが移住者であることについて「日本の中心部でいろんな厳しさを味わいながら、この島なら何かいけそうだという感じがしたのではないか。海士町は島民と移住者の分け隔てがないから、いろんな若者が移住してきたのだろう」と語った。
さらに田仲社長は「(島での)人口の爆発的増加はまず不可能だし、無理にたくさんの人を入れるのは良くない。若者も子供も年寄りもいるという環境の中で、町を維持していくことを目標に頑張るべきだ」と強調した。
(人口減少問題取材班)






