人口減少社会を超えて、“よそ者”が活性化の原動力に

人口減少社会を超えて 第1部・先駆けの地方移住 (1)

 人口減少が止まらない。2015年から減少が始まった日本の総人口は、60年には8700万人弱になると予想され、このままでは国力減退は避けられない。人口減少にどうすれば歯止めをかけ日本の活力を維持することができるか。第1部は出生率の低下の原因ともなっている東京一極集中の克服が叫ばれる中で、先駆けて地方に「移住」した人たちを取り上げる。
(人口減少問題取材班)

島根県・海士町 人口の2割が島外移住者

 島根県の沖合にある隠岐諸島。そのうちの一つ、中ノ島にある海士町は、地域資源を生かした新たなブランドの創造など、地域活性化の取り組みが注目を集めている。その原動力となっているのが島外からの移住者だ。約2300人ほどの小さな町にもかかわらず、人口の2割以上となる384世帯566人(2017年3月現在)がIターン(都会から田舎に移住すること)という。フェリーで本土から約3時間のこの島を訪れ、移住者や移住者と関わる人々から話を聞いてみた。

山内道雄前町長

山内道雄前町長

 石川県出身で、実家はお寺という大窪諒慈さん(24)は「海のそばに住みたい。人と違うことをしてみたい」という思いから、ネットで移住先を探した。島での暮らしは今年で5年目になる。

 大窪さんは「ここはIターンが多く、いろんな土地でいろんな経験をしてきた人たちが集まっている。場所は狭くても世界は広い。普通に都会にいるよりいろんな人と出会える機会が多く、成長できる」と語る。

 バーベキューやバンド演奏のイベントを企画することもあるといい、「20~30代が中心になって主催している。やることが少ないから自分たちで楽しいことを見つけるのも島の魅力」と強調する。

 現在、漁師の仕事をしている大窪さんは、これからも海士町で暮らしていきたいと考えている。「島のおいしいお酒と魚を食べて、すてきな人に出会い、家を建てて幸せに暮らす。もし子供が生まれて、子供もそうしてくれるとうれしい」と笑った。

 海士町出身者はどう受け止めているのだろう。

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船の上で海中の網を引き上げる作業をする漁師たち=島根県隠岐郡海士町(石井孝秀撮影)

 承久の乱に敗れ、この地へと流された後鳥羽上皇を紹介する「海士町後鳥羽院資料館」の職員、安達有紀さん(38)は海士町出身のUターン。Iターンの移住者については「新しいものへの好奇心が旺盛で、自分も刺激を受ける」と話す。

 一緒にフリーマーケットを企画したり、和歌の同好会を作ったりと「都会にいたらこんなに積極的にやろうと思わなかったかも」と安達さんは振り返る。大学時代の友人と連絡を取った際、島に帰ってからの方が社交的になったと言われたこともあった。

 Iターンの移住者の存在は島民に大きな影響を与えているようだ。

 そんな彼らIターンの“父”と呼ばれる人物がいると耳にした。特産品を開発して島のブランド化を目指すなど海士町のさまざまな改革を推進してきた、前町長の山内道雄さん(80)である。

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 「みんな困っていることがいっぱいあると思う。“父”というつもりで、相談相手になれれば」と笑顔で話す山内さんは「“よそ者”がいなかったら、今日の海士町はない」と断言する。

 山内さんがIターンの人々にとても感謝していることは「この島のために一心不乱に頑張っていること」だという。「初めは『いつまでいるのか』と失礼なことを言った人もいたはずだが、その生きざまを見て『こいつらは本気だ』と地元の意識も変わった。町づくりの元は人づくりだ」

 また、人口減少に悩む日本の現状に話が及ぶと、「2人目、3人目の子供を産んでもいいんだと、希望を持たせるような政治が必要だ。未来を見据えた対応が求められている」と、海士町の未来を見据えて戦った“父”は訴えた。