私の青ヶ島生活 菅田正昭


大きく変化した暮らしぶり
変わらぬ精神生活・信仰

 国の離島航路・離島振興の類型では、青ヶ島は孤立小型に属している。「鳥も通わぬ…」と謳われた八丈島の、さらに南方67㌔の太平洋上に浮かぶ絶海の孤島である。東京からだと約360㌔。東京都に属する一島一村のれっきとした青ヶ島村だ。

菅田正昭

すがた・まさあき 昭和20年東京生まれ。学習院大学法学部卒。青ヶ島助役、日本離島センター機関誌「しま」編集委員など務める。著書に『古神道は甦る』(タチバナ教養文庫)『青ヶ島の神々』(創土社)など

 私はこの青ヶ島に昭和46年5月から49年1月までと、平成2年9月から5年7月までの計2回住んだ。一度目は青ヶ島村役場職員として、二度目は青ヶ島村助役(総務課長なども兼務)として。二度とも青ヶ島が大きく変わろうとしている頃だった。

 大学卒業後、独学で勉強できるものとして、『古事記』を座右に置いて、離島研究を始めて、ちょうど50年。青ヶ島に住むことによって、現実の離島のことを考えるようになって、47年目を迎える。離島中の離島ともいうべき青ヶ島に、二度も住むことができて、本当に良かったと思う。

 一度目の頃、八丈島からの定期船は月に2~3便だった。天候(実は波の状態)と就航予定日の巡り合わせに狂いが生じると、鏡のような凪の時には配船が無く、八丈島に船が来ると大しけということもあった。こうして1ヵ月以上、船が来ないという生活を1年半の間に三度も体験した。ちなみに、私の場合、昭和47年1月から3月にかけての39日間が最長だった。この時は、何通かの年賀状を3月になって受け取った。

 昭和47年8月、村営連絡船あおがしま丸(49・5㌧)が0と5の付く日に就航し始め、かなりの確率で加えられた欠航したものの、生活面での改善は著しかった。何しろアイスクリームを食べることができたのだ。一度目の在島期、最初は車はジープが数台あるだけで、荷物の運搬はもっぱらベコと呼ばれる赤牛が担っていた。当時の人口は220~230人だったが、かつて「牛とかんもと神々の島」と呼ばれるほど牛が多かった。ところが、赤牛(役牛)から黒和牛(肉牛)への転換とともに牛の数も半減。一時期は荷物を運ぶ耕運機(小型特殊車両)が増えたが、帰島する青年が10人を超えたところで、あっという間に自動車が普及した。昭和47年暮れには従来の12時間送電から24時間送電へ電力事情も好転した。第一在島期の始めと終わりでは、生活面で大きく変化していたのである。

 しかし、変わらぬものがあった。それは島の精神生活を支えた信仰である。もちろん、それだって厳密に言えば変化をしてきている。私は東京を離れる前日、東京・蒲田の書店で角川文庫の『写真 八丈島』という本を買った。青ヶ島に渡る前に、青ヶ島に関する知識を入れないつもりだったが、翌日、竹芝桟橋から八丈島行きに乗船するときには読了していた。そこには、青ヶ島には神憑りをする巫女が今でもいる、というようなことが述べられていた。青ヶ島に着いた夜、泊めさせていただいた「宿」のおばさんに、そのこと尋ねてみた。

 「昔はあららーが、ま(今)はそごん変どうものはなっけふうにならら」と否定されてしまったのである。私はそれをまともに受け、休みになると、青ヶ島や八丈島でイシバと呼ばれる霊地=斎場へ一人出掛けては、苔むした祠や石の神々をひっくり返したり撫でたりして「おめえ、だいどう(あなたは、どなたですか)」と神々に問いただした。それを繰り返しているうち、不思議体験を幾つか経験し、それが卜部の廣江次平さん(1903~89)や、巫女の廣江のぶゑさん(1902~2001、女優・篠原ともえさんの曾祖母)に伝わり、社人・巫女組織に加えられ、年に30回くらい祭りに出るようになった。役場の仕事のほか、貨物船が来ると、艀組合の小頭として朝は6時ごろには港に行き、貨物が多いと夜も7時を過ぎてしまう中での祭祀である。普通は夜に行われるが、神社の例大祭のときは朝から翌朝まで、である。

 二度目のときは、助役という、実は、かなりの激職ということもあって、祭祀には一切、関われなかった。しかし、深夜に悪天候にもかかわらず神々に呼ばれて何度も出掛けた。祈らざるを得ない状況もあった。助役時代の途中、ヘリコミューターの試験飛行もあり、平成4年7月、大里神社のイシバの祠にあった江戸期の和鏡が1枚も無くなった。しかし、祭祀組織の高齢化に伴う弱体化で、私が気がつくまで誰も気づかなかった。

 現在、青ヶ島村の人口は160人台に落ち込んでいる。今も昔も不動の全国最小村だが、私はこの数字に危機を感じている。それでも東京都に属する離島である。毎朝、定員9人のヘリが八丈島から飛ぶし、就航率は50㌫だが週5便、伊豆諸島開発の連絡船あおがしま丸(460㌧、50人乗り)が航海する。観光客には外国人が増えている。

 (民俗宗教史家)