「専守防衛」からの蝉脱 敵基地攻撃能力の保有を
即、攻めに転ずる必要
「空手に先手なし」とは、いかなる状況でも空手家は決して先に手を出してはいけないという『空手道二十訓』の一つの教えである。だが、それの意味することは防御が即、攻めに転ずるということであり、攻撃を受けると同時に一撃必殺の拳で相手を倒すことに空手の極意があるのだ。これが敵から身を守るための術(すべ)というものであろう。
翻って、わが国は防衛政策の基本方針を「憲法の下、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とならず、非核三原則を守り、平和国家としての歩みを引き続き堅持する」として、第2次安倍内閣が閣議決定した「国家安全保障戦略」と「第5次防衛計画大綱」でも表明している。
ここにある「専守防衛」とは、相手から武力攻撃を受けた時に初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限られるなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢のことである。また「他国に脅威を与えるような軍事大国にならない」とは、性能上、専ら相手国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる攻撃的兵器を保有することは許されない。例えば大陸間弾道ミサイル、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母の保有は許されないとしているのだ。
これを空手道の教訓に譬(たと)えて言えば、「こちらから決して先に攻撃してはいけない。攻撃されても受け身の構えだけで、一撃必殺の反撃をしてはいけない」ということになる。これでは護身術として成り立たないように、攻撃行為を伴わない防御は軍事的に成り立たない。
そこでわが国は「米国による拡大抑止の提供を含む日米同盟の抑止力により自国の安全を確保している」(国家安全保障戦略)として、安全保障分野における日米協力を強化して、日米同盟の抑止力と対処力を向上させていくというのであるが、これは有り体に言えば、有事になれば核兵器を含む米国の戦力を当てにしているということである。
憲法の下、専守防衛に徹してやっていけるのは、自衛隊は盾の役割を担当し、米軍が矛の役割を果たすという「日米防衛協力のための指針」による取り決めがあるからである。基本的に攻撃はすべて米軍にお任せしますということだから、米国がこれを反故(ほご)にしたら専守防衛の国防は成り立たないのだ。これでわが国の防衛は万全と言えるのだろうか。
独自に抑止力を持て
北朝鮮は先月29日、新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星15」を発射した。通常角度の発射なら飛距離は1万3000キロメートルに達し、米国全土を射程に収めることになる。やがて北朝鮮の核搭載ICBMの脅威にさらされる状況になれば、米国は北朝鮮の核攻撃の危険にさらされてまで日本を核で防衛するであろうか。米国の拡大抑止である「核の傘」なるものの信頼性が揺らぐことになるのではないかと懸念する。
北朝鮮はすでに日本を射程内に収めるスカッドERを約400発、ノドンを約300発実戦配備し、あと1年半ほどで核搭載が可能になると予測されている。多数のミサイルを同時着弾させる飽和攻撃を仕掛けてきた場合、すべてを迎撃するのは不可能である。
北朝鮮の脅威が一段と増す中、核・ミサイル防衛システムの一層の整備と敵基地攻撃能力の保有を検討し、わが国独自の抑止力を持つことを考えねばならない。そしてその前に不可解な「専守防衛」からも蝉脱(せんだつ)すべきである。