看護師戦線異状あり 人材不足で病院が争奪戦
3Kの職に7対1基準
看護婦から看護師になり14年。それは日本の医療界を変えた記念すべき年、改革の年だったといえるだろう。
それまで医療界で看護職に従事する女性は看護婦と呼ばれ、男性は看護士と呼ばれていた。ところが2002年、法律改正により、以後、看護婦も看護士も一律に“看護師”なる名称を使用することが義務付けられた。なぜそうなったのか。
それから十数年の月日が流れたが、看護師を志望する男子の数はさほど伸張せず、看護師全体の5~10%の域に止まっているのが現状だ。
もう一方の女性看護師について言えば、これもまた思い通りに人材が集まらず、あるいは結婚などで一度家庭に入った以後も職場には戻らない。そんなことから医療界では相も変わらず、“看護師不足”に悩まされているのが、医療界の現状である。
近年、医療界ではその看護師を巡り、様々なドラマが演ぜられている。
千葉県は“信仰と空港”で知られる成田市。その街の郊外に総合医療センターと銘打った「成田病院」がある。その規模は千葉県トップクラスに類するもので、成田市郊外・押畑地区に、介護老人保健施設、特別養護老人ホーム、看護学院、リハビリテーション学院等の関連施設が建ち並んでいる。
その成田病院理事長の藤崎壽路(ひさみち)氏が、こんなことを言っている。
「5~6年前のことだが、看護師の中からバタバタバタと退職者が続出し、大変な目に遭ったことがあります。それでなくとも確保しにくいのが看護師です。一度に辞められては病院経営にも支障が生ずる。このときばかりは頭を抱えたものでした」
2002年に法改正が行われ、病院で働く女も男も、男女平等の理念をベースに“看護師”の名で統一されたことを述べたが、2006年になると、さらに看護師政策は前に進められることになる。
新看護基準なるものがそれで、「患者10人に対して1人の看護師」を配置する旨の政策は、さらに強化され、「患者7人に看護師1人」という政策が導入されることになる。
俗に“7対1基準”とも言われるが、病院側とすれば、それだけ看護師を増やさなければならなくなったわけである。
そこで何が起こったかといえば看護師の引き抜き合戦。高い賃金体系や手当等の高さを見せびらかし、ライバル病院等から看護師を引き抜く、そんな行為がよく目に付いた。
近年、医療界において看護師の数は減りつつあるともいわれている。もともときつい、汚い、危険の3K業務と言われ、職務内容も注射、点滴、カルテの整理、そして夜勤など、昔は医師が行っていた業務なども看護師が肩代わりしなければならないのが、現代の看護師。そして結婚や出産などで一度家庭に入ると、職場に戻って来なくなってしまう。
そんなことが看護師不足の一因を作っていることは間違いない。
改善策講じる成田病院
藤崎理事長は、「新しい基準看護制度が導入された時は、それこそ大変でした。100床のベットがあれば、従来だったら50人の看護師で済んだものが、新しい規定の下では、70人の看護師が必要になってくる。そんなことから、看護師をどう確保するか、いまでも苦労しています」と振り返っている。
そこでその改善策として、同病院では看護学生に奨学金制度を積極的に導入し、学費の支援により専門教育機関に進み、看護師養成に向けた方策を講じる努力を続けている。
このように各病院では看護師の確保、養成などに血の出るような努力を行っている。
しかし50万人以上ともいわれるスリーピング看護師。彼、彼女たちを職場に引き出せば看護師不足問題は解決される。何が彼らの勤労意欲を妨げているのであろうか。
いまや病院の法人化が進み、経営スタイルも株式会社型に近づきつつある。病院が利益追求型の組織に変わっていく可能性も考えられる。そうなったとき我々患者はどのような診察、診療を受けるのであろうか。