劉薇女史の脱人工透析 雑穀で腎臓病克服した快挙

試練のバイオリニスト

 これは一つの快挙ではないかと私は思っている。中国人バイオリニスト劉薇(リュウウェイ)女史が成し遂げたことで、様々(さまざま)な困難を乗り越え、遂に彼女は一つのハードルを乗り越えた。

 それは何かといえば、11月、一冊の本を出版したことである。『でも元気な私の食生活』(講談社刊)がそれで、実はその一冊には、彼女のバイオリニストとしての喜び、悲しみ、苦しみなどが積み込まれた一冊だからだ。

 劉薇は1963年、中国・蘭州の生まれ。西北部最大の工業都市で、一帯が黄土高原の砂漠地帯。風が吹くと空から黄砂が降ってくるという。劉薇はその黄土高原の町で、3歳の頃から父親にバイオリンを習わされたという。父親は自分が果たせなかった夢を娘に託した。

 ただ当時は文化大革命の最中。バイオリンの入手も叶(かな)わず、そこで父親は入手した古いバイオリンを、子供サイズにのこぎりで改造し娘に与えたという。

 長じて中国の音楽学院から日本の音楽大学へ留学。しかし最初の留学は失敗し、中国へ逃げ帰った。その時、父親はいったという。

 「もう日本へ行かなくてもいい。中国に食料はあるし、音大教師のポストだってある。無理をしなくてもいい」と。

 しかし気の強い薇は納得できず、今度は東京芸術大学へ挑戦。修士3年、博士7年の課程を修了し、音楽博士となって留学を終える。卒業論文には“中国近代音楽の父”と呼ばれた馬思聡を選んだ。

 卒業後、彼女の演奏活動はカーネギー・ホールをはじめとした一流ホールを舞台に展開されていく。そして世界の名器グアルネリの無償貸与に恵まれ、さらなる演奏活動に打ち込み始めたとき、彼女は突然、慢性腎不全の診断を受け、人工透析の宣告を受けることに。人工透析は一度その治療を受ければ、そこから脱却するのが難しく、音楽家生命もまた、失われていく可能性がある。

 そこで彼女が試行錯誤、専門家のアドバイスを得て行き着いたのが“雑穀療法”なるものだった。一度落ちた腎機能を復活させることは医学的にも不可能に近い。しかし“心”を鍛えることで病気にブレーキをかけることは不可能ではない。岩手県二戸市に住む有機栽培農家を知り、そのアドバイスを受けたことも意を強くした。

患者・予備軍には朗報

 それから10年――。それでも一時は中国へ渡り、腎臓移植を真剣に考えたこともある。しかしその危機も雑穀療法で乗り越え、つい最近もカナダへ演奏旅行に行ったほどである。

 それだけではない。近年は食事療法の体験を多くの腎臓病患者やその予備軍、一般人にも知って貰うべく、「劉薇の雑穀の会」の名の下に、定期的に「雑穀料理教室」を開いている。今回、その活動が出版社の目に止まり、「人工透析なしで10年!でも元気な私の食生活」の出版につながっていったわけである。

 近年、人工透析患者の数が増え、一説には300万人を超えているともいわれる。その予備軍となっているのが糖尿病や高血圧症。劉薇、彼女の生き方には学ぶべきものがある。