民主主義国家の弱点 戦争に不向きな政治制度
中国軍拡に英の教訓を
現在の日中関係は、第2次大戦直前の英独関係と似ている。民主主義の先進代表国家だった英国と海を隔てたヨーロッパ大陸に、ヒトラーによるナチス独裁国家が出現した。ヒトラーは世界支配の夢を持ち、極秘のうちに驚異的な軍拡を達成した。一方、英国はそれに比して救い難いほどお人好しな平和主義者であり、眠っていた。その弱気で妥協的態度がヒトラーの大胆な行動をもたらしたのだ。
日本も世界公認の代表的民主主義国家だ。対岸のユーラシア大陸に強大な中国共産党独裁国家が出現した。中国は前年比10%以上の軍拡を20年以上継続し、習近平国家主席は政治・経済・軍・警察権力を一手に握り、統制を強めている。「中国の夢」を掲げ、力による世界支配に向かい前進している。
日本はかつての英国と同様、平和主義者であり、危機に気付かず眠っている。日本の弱気で、かつ妥協的態度がますます共産党独裁国家を増長させてきた面は否めない。
ただ、両時代で決定的に異なる点は、第2次大戦が始まる前後に、現在の米国のように「圧倒的な力を持つ国家が存在しなかった」ことだ。第2次大戦後は米国が世界の警察官とし存在しているため、中共独裁政権は1930年代末のナチス・ドイツと同様、既に戦争準備を終えているのだが、行動に移せないでいる。
1935年末、英首相ボールドウィンは議会演説で「英国は航空兵力でドイツに対し優位とゆとりを保っている」と主張した。これに対しチャーチルは「ドイツは英国の2~3倍の圧倒的航空兵力を既に所有しており、ロンドンが危機に瀕している」と反論した。チャーチルの主張は全く正しかったのだが、虚偽を主張している如くに扱われた。
この当時、英国の大多数のリーダーたちはひたすら国際連盟と国際条約の信奉者を自任していた。国際連盟の力を否定することは選挙の敗北、政権の喪失、軍国主義者の汚名を着せられることを意味したからだ。「軍拡、徴兵制、増税」等は禁句であり、あえてそれを言えば「極右翼・軍国主義者」のレッテルが貼られた。
国民大衆も同様に「徴兵・軍拡・増税」をヒトラー以上の深刻な脅威としていた。政党やマスコミは国民大衆の感情を自分本位に利用しウソをついた。大衆は悲劇の到来を夢にも思わず、利己主義が作り上げた嘘(うそ)を強く信じていたのだ。
こうした政治状況は、英国がようやく目覚めてチャーチルが戦争内閣を組織するまで続いた。組閣時には、約34万人の英仏軍がダンケルク(仏)から英国へ命からがらの撤退をせねばならなかった。独軍は既に、量質共に圧倒的優位であり、陸軍136個師団と3000両の戦車でフランスに進撃。1940年6月14日にパリが独軍に占領された。7月には独空軍による英国空爆が始まった。英国への上陸作戦の開始だった。
英国は強烈なショックを受け目覚めたものの、それは遅すぎた。しかし、海と米国の存在に英国は救われた。一方、フランスは独軍の全面攻撃を受け1カ月足らずでパリは占領された。
全体主義的独裁国家は最も戦争に適した政治制度だ。完全な秘密保持が可能であり、極めて短期間に戦争の準備をし、効果的な奇襲攻撃を仕掛けることができる。
目の前にある独裁国家
民主主義国家はその正反対の政治制度を持つ。戦争には最も不適切な政治体制だろう。国民がその欠点をきちんと認識しなければ近隣の全体主義国により滅ぼされる。民主主義政治制度はそうした重大な弱点を持つ。それを補う責任が政治リーダーと国民に絶対的に要求される。
日本はドイツと同盟した敗戦国で、占領軍による民主主義の制度化を余儀なくされたが、むしろ今日の日本にとって貴重な教訓となるは第2次大戦当時の英国の経験である。