道徳教育は教育の根幹 親、学校、地域で連携を

大人社会のモラル低下

 高度経済成長を担う人材の量産に努めた戦後社会が求めたのはあらかじめ備わったマニュアルを素早く、正確に理解し、実践できる粒ぞろいの人材だった。それには、画一的な内容を一斉に、かつ大量に教え込む教育システムが有効であった。たしかに日本の戦後発展に貢献した。

 しかし、戦後教育は、一番大切とされる、徳育教育が軽視されその結果、個々人の心豊かな人生の構築にも、充実した社会生活の形成にもつながらない中身の乏しい人間を育てたのではなかろうか。

 物質的な価値が優先され、社会全体のことよりも個人の利害得失を優先するモラル低下の大人社会を生みだした。

 社会全体がカネや地位の欲望のとりこになり、短絡的な快楽志向に走り、大人たちが子供たちに、思いやりや規範意識を求める説得力もなく、そのため自己中心的で躾(しつけ)の不足した子供の増加、少年による一連の衝撃的な非行や犯罪が多発し、社会問題として深刻化している。

 現在、教育改革が求めているのは心の乏しい優等生を社会に送るのではなく、人間性豊かな人格の基礎となる豊かな情操をはぐくみ、その上で生活習慣など社会生活の基本を教え、心豊かな人材を育成することである。まさしく教育本来の姿であり、政府は、今年を教育再生の年としたいとして、教育現場で軽視、形骸(けいがい)化されていた道徳教育の教科化など戦後教育の欠落していた課題などに、相次いで処方箋を出し、改革を着実に進めようとしている。

 今、教育の意味、学校の役割は、明らかに変わってきている。学校絶対の教育システムでは到底対応できなくなっており、少なくとも教育を学校という枠の中だけで語れる時代ではなくなっている。

 徳育は、家庭の教育と学校の役割が両輪となるべきで、道徳教科化の実現は、教育再生・家庭再生の鍵になると思う。

 スイスの教育実践家ペスタロッチは「家庭よ、汝は道徳の学校なり」と言っている。親子の関係は道徳的陶冶(とうや)の基礎になり、家庭は国家、社会の秩序のモデルとならなければならないのである。

 家族の愛情による子育ての推進、家族を中核とする取り組み、家庭と学校が連携し対応することが必要で、子供のときは、知識の詰め込みよりも人格、教養を高める教育が重要だと思う。

生き方は家庭が原点に

 教育の原点は家庭にあり、親はその責任を充分に認識しなければならないのだ。しかし、残念なことに、核家族化の中で育った親は公徳心が欠如し、未熟で身勝手な大人として、子供たちのモラルや規範意識の低下を嘆く資格もなく、子育てに自信を失い、責任を放棄してしまう親が増えたことは嘆かわしい。社会の規範意識やルールなど社会の一員としての生き方を教えるための「人生を歩む上での道しるべ」なる人生哲学が親になくなったことだ。

 親は自問し自信をもって子供の心に真剣に向き合い、責任を果たすことを放棄してはならないのだ。

 道徳教育は、教育の根幹であり、子供たちに人間として生きるために道徳的価値が大切なことを理解させ人間として様々な状況下において的確な道徳的判断力をもたせることで、学校教育は当然、家庭教育においても中核をなすのは道徳教育でなければならない。

 今後の課題は、学校教育と家庭教育の一体化、親と学校、地域社会が連携して対応することである。