嫉妬は回避できるか 賢明な内閣改造を望む

歴史の裏側の原動力

 国会閉会中とあってか、国内の政治ニュースは鳴りを潜めている。もちろん、集団的自衛権問題はまだ終わっていないし、原発問題が終息したわけでもない。TPP交渉も先行きが不透明のままだし、拉致問題も新たな展開が期待されている。

 さらには、外交問題も東アジアだけではなく、ロシアやヨーロッパとの付き合い方にも気配りが必要になっている。政治課題は山積しているはずなのに、国民の耳に聞こえてくるのは、100兆円を超えるという2015年度予算の概算要求と、9月第1週と明言した第二次安倍内閣の改造人事・党役員人事に関する話題ばかりだ。

 そんな中でもちょっと気になるのが、人事にまつわるある話だ。それは「嫉妬」である。7月30日付でネット配信された「時事通信」の記事の見出しは、“女性の登用焦点=適齢期少数、「男の嫉妬」も”というもの。

 そもそも第二次安倍内閣の閣僚は、戦後最長の在任記録だそうだ。それが良いかどうかはさておくとしても、党内的には必ずしも良いわけではないらしい。「入閣適齢期」とされる待望組が衆院だけでも40名もいるからだ。表立っては誰も言わないが、早期の大改造を期待するのは、わからないでもない。

 さてこの人事だが、男性議員入閣だけでは時事通信の記事にはなりにくい。記事になるのは、安倍首相の強い意向である「女性登用」があるからだ。ただし、適齢期でいえば該当者は少ない。その中から選ぶとなると、どうしても若手にならざるを得ない。当然、賞味期限切れの先生の嫉妬心に火が付くというもの。「どうして、あんな若い女に!」と。

 政治学者山内昌之の『嫉妬の世界史』(新潮新書)は、古今東西の著名人の嫉妬心を抉り出して興味深い。「嫉妬は女の特権ではない」「始末におえない男の嫉妬」「色恋沙汰ならまだしも、身過ぎ世過ぎに関する男のねたみそねみは国をも滅ぼす」とあるから、尋常ではない。

 東大教授の山本博文の『男の嫉妬』(ちくま新書)も面白い。副題の「武士道の論理と心理」からもわかるように、年功序列や祖先崇拝を旨とする武士でも、嫉妬心を抑えることができなかったらしい。哲学者のニーチェも、「嫉妬は人間の魂の恥部」と断じ、ダンテも『神曲』の中で、嫉妬を「七つの大罪」の一つに位置づけた。

 こう見ていくと、議員の皆さんの嫉妬も致し方ないようにも思えるが、国民の側から言わせてもらえば、そうは行かない。確かに、資本主義の競争社会では、嫉妬は社会を前進させる原動力にもなっているが、自制の効かない嫉妬の暴走は「国をも滅ぼす」(山内)のだ。

自制心働かせる努力

 先の東京都議会の「セクハラ野次」も、突き詰めれば、注目される女性への嫉妬が原因だ。多くの場合、本人はそのことに気づいていない。まさか、野次で謝罪に追い込まれるとは、夢にも思わなかったであろう。紹介した2冊の本を読むだけで、嫉妬がいかに醜い行為であることかを思い知らされる。嫉妬の回避は自制心をもってするしかないのである。

 少なくとも、国民や市民の付託を受けて議場にある者は、どのような状況においても、嫉妬心を抑えこむ努力を惜しむべきではない。嫉妬心をバネに、社会的なステイタスを得ることも否定はしないが、しかし、こと国会議員にはそのような努力は払ってほしくない。

 ややもすると、国民や市民の姿が見えなくなっている議員は少なくないが、嫉妬している人間の言動は、誰にでも見抜けることを肝に銘じるべきであろう。来るべき改造人事・党役員人事が賢明であることを期待したい。