安倍政権の安保法制 的外れな批判マスコミ
「戦争」の可能性は低下
「安倍政権は日本の軍国化を目指している」「米国が起こす戦争に加担することになる」「徴兵制を復活させ若者を戦場に送ろうとしている」。
安倍政権の安全保障法制の検討が始まった途端、朝日、毎日、東京新聞の各紙、テレビ朝日、TBSテレビの報道番組は、相変わらず的外れで乱暴な批判を展開するばかりだ。もはや怒りを通り越して呆れるばかり。
ある政治学者は、自ら先頭に立って政権交代を煽(あお)った結果の誤りを反省せずに、安倍晋三総理のことを「ペテン師のやり口」と口汚く批判する。
こうした偏向マスメディア、似非(えせ)学者とは、言論で正々堂々と戦うしかない。
1960年、日米安保条約の改定が行われた。その際も「米国の戦争に日本が巻き込まれる」という声が随分と聞かれた。反対派の主張は当時も今も全く同じである。
ところが、あれから半世紀以上が経ってどうだろうか。この改定によって、むしろ日本の抑止力が強まり、アジア太平洋地域における米国のプレゼンスが高まったことによって、平和がより確固たるものになったではないか。これは誰しもが認めるところである。その結果、「米国の戦争に日本が巻き込まれる」可能性は低くなった。
冷戦が終結し、地域紛争が相次いで発生する中、日本はPKO(国連平和維持活動)への自衛隊の参加の道を開いた。当時もやはり「自衛隊が血を流すことになる」「戦争参加につながる」との批判があった。
しかし、カンボジア、モザンビーク、南スーダンと、各地における自衛隊の活動は、多くの人々に感謝され、世界平和に大きく寄与している。PKOに反対していた人の多くも、今では評価に転じた。
有事法制(武力攻撃事態関連法)の議論の際も「戦争法だ」「国民の自由と権利を制限する」といった批判が噴出し、書店に行けば反対派の書籍ばかりが並んでいた。そこで私は賛成派の立場で『急げ!有事法制』(朝雲新聞社)を出版し、大きく注目された。そこで今回は『安倍政権と安保法制』(内外出版)を出版することにしたのである。
憲法改正についても同じである。
主権者たる国民が、幸福追求の道具である憲法を世の中の変化に合わせて使い勝手の良いものに変えていく努力をしていくのは世界の常識である。日本が進むべき針路を間違えないよう、古い憲法を新しい時代状況に適応させるべく、憲法解釈の変更、あるいは憲法改正を国民に提案することは政治家の責任である。
ところが、護憲政党を支持する人々は「反自民」を振りかざし、「憲法9条は国の宝」と叫ぶばかりである。
「平和」は幻想ではない
「憲法に『平和』と書けば、『平和』になるのであれば、憲法に『台風は日本にはくるな』と書けばよい」(田中美知太郎京都大学名誉教授)というように、憲法9条を世界にPRすれば平和が実現できるというのは幻想である。
日本を取り巻く安全保障環境は、そんなに生易しいものではない。
戦後日本の平和は、自衛隊と日米安保体制に支えられてきたという事実を無視してはならない。
私たちの平和は人から与えられるものではない。私たち自身の手で築き上げるものなのである。
そこで今回、安倍総理は日本の舵(かじ)取り役として、時代の変化に合わせて国民の生命と財産を守り抜くために、与党協議を受けて7月1日、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」を閣議決定し、今後の安保法制整備の方向性を示し、安保関連法案の策定作業を開始したのである。