「八月革命説」の欺瞞性 占領憲法は憲法として無効

自己保身した敗戦利得者

 昭和二十年八月に革命が起こつたとする宮沢俊義の学説がある。我が国は、同年八月十四日にポツダム宣言を受諾し、翌十五日に先帝陛下の終戦詔書が玉音放送により発布されたので、革命が起こつたとするのは、それ以後のこととなり、これによつて日本国憲法と称する被占領、非独立の時代に生まれた「憲法もどき」(占領憲法)が革命後の「憲法」として制定されたとするのである。しかし、ポツダム宣言受諾以後に革命らしきものは起こつてゐないし、さらに、同日から同月三十一日までの「八月」には「革命もどき」らしいものは全く起こつてゐない。

 また、翌月の九月二日に降伏文書に調印してGHQの占領を受け入れ独立を奪はれた状態のまま昭和二十一年十一月占領憲法が制定されることになるが、それまでの期間においても「革命もどき」が起こつたとする歴史的事実は全くない。

 そもそも、「革命」といふのは、国民国家における国民の自律的な政治変革の現象であつて、外国による制服や占領といふ他律的な政治変革を意味しない。我が国は、昭和二十七年四月二十八日にサンフランシスコ講和条約が発効して独立を回復するまでは、GHQの軍事占領下にあり、独立が奪はれてゐた状態であつたから、民族的な自律的変革の余地は全くなかつたのに、これを「革命」といふのはあり得ないことである。

 そのため、いまや、この「八月革命説」を主張する者は皆無に等しいが、これが被占領期には一世を風靡して、あれよあれよといふ間に、占領憲法が憲法として有効であるといふ世論を形成してしまつた。宮沢俊義を先頭として殆どの学者は、GHQに睨まれれば学者としての地位が守れないといふ自己保身のために国家を裏切り、占領憲法が憲法として無効であるとは言へず、官僚と政治家の全ても、パージを恐れて占領憲法を受け入れたのである。

 ましてや、何も知らされてゐない国民からすれば、占領憲法を受け入れれば、食料が提供されて餓死することはないなどと大々的に喧伝するGHQ主導の「憲法普及会」といふ被占領下の暫定政府公認の組織による全国的な洗脳運動によつて、すつかり騙されてしまつた。その洗脳運動は、驚くべき多額の国家予算が注ぎ込まれ、これに協力する者には、大きな経済的利得を与へたのである。飢餓に直面し、闇米などの闇物資がなければ命を保てない時代であり、闇米を口にすることを拒んで、東京地方裁判所の山口良忠判事が餓死したやうに、食糧難に喘ぐ多くの国民がGHQ主導の洗脳運動に盲従することを非難することができない悲しい歴史的事実があつたのである。

有効論は理論的に破綻

 ところが、この占領憲法が憲法として有効であるとすることが敗戦後の利得を享有して自己保身を実現しようとする学者や官僚や政治家などの「敗戦利得者」たちは、「八月革命説」に代はる詭弁を模索し、軽薄にも民法理論を借用して「追認説」とか「時効説」などのチンケな主張を編み出してきたが、これも理論的に破綻してゐる。

 いまこそ我々は、占領憲法が憲法として有効であると強弁して自己保身を図らうとする「国賊」を断固として膺懲する最終決戦に挑むことを、今日のこの日に決意して実践しなければならないのである。