「安全DNA」を根本的に変えよ
韓国紙セゲイルボ
基本原則を絶対に見過ごすな
セウォル号事故で在米韓国人社会も静まり返っている。各種行事が相次いで取り消しになった。米国人も韓国人に会えば一様に高校生が含まれた大規模な犠牲に深い哀悼を表す。
米国人らの反応は概して共通している。船長の行動を理解できないという。そしてなぜ初期に救助できなかったかを問う。返す言葉がない。それが韓国の“現住所”だ。
約20年前に記者生活を始めて、多くの事故を経験してきた。「事故共和国」といっていた時期だ。初めて担当した麻浦警察署付近で20、30㍍の高さに沸き上がった火柱はまだ顔を熱するようだ。漢江の水に呑(の)まれた聖水大橋の床板の上で見た主を失ったカバンを覚えている。死体さえまともに収拾できない三豊デパート崩壊事故は夜中に聞いたフォーククレーンの掘削音と遺族の絶叫が耳に残っている。
事故共和国は少しも変わらなかった。多くの白書を作ってマニュアルを整えたのに、無用の長物だった。歳月が変わって人が変われば同じだ。根本が変わらなかったのだ。
大韓民国の「安全DNA」が変わらなければ事故は続く。MT(メンバーシップトレーニング=団体で親睦を深める合宿=会場の体育館が大雪で崩壊し犠牲者が出た)と修学旅行をなくしたところで仕方がないのだ。
米国は過度に安全を強調する。安全過剰の中でもわれわれが習うべきことは安全で基本に忠実だという点だ。各自引き受けた領域で基本原則を絶対に見過ごさない。人でなくシステムが作動するのだ。すべての事故を防止できないだろうが、事故発生の可能性を最小化することはできる。
セウォル号での救助実態と不十分な監督体系、過剰積載などは全部システム上で既に点検され是正されるべきだった懸案である。
今回のセウォル号事故は大人たちが右往左往しながら大きくしてしまった惨事だ。危機状況に対応する訓練がなっていないからだ。
だが、今回の事故で溢(あふ)れ出した国民的公憤と関心がすぐに消えてしまうだろうことが心配だ。過去と同じように、精いっぱい悲しんでため息だけついて、歳月の忘却の中に埋めて放っておいてはならない。
大韓民国の「安全DNA」を根本的に変えなければならない。社会の隅々を見て基本を積み上げて行かなければならない。
(朴ヒジュン・ワシントン特派員、4月28日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。