多忙という名の「棺」で生きる日本人
天国は母の足元に
公立小松大学准教授 塩谷サルフィマクスーダさんに聞く
インドのカシミールから日本に嫁いで36年。インド料理店を経営しながら、大学で教鞭(きょうべん)を執っているマクスーダさん。近著『誇れる国・インドと日本―仕事・家族・教育、それぞれの文化と生活』を上梓(じょうし)したマクスーダさんに、日本とインドの家族関係や社会、子育てなど両国の文化について聞いた。(聞き手=青島 孝志)
仕事優先の家庭は寂しい
インドの離婚率は1~2%
インドの詩聖、タゴールは来日の折、「イギリスの植民地政策により、本来インドにあるべきはずのものが、日本に生き続けている。それは、日本人の美術に対する美意識、静と動、茶道、そして素朴でシンプルなインテリア。特に日本人の勤勉さ、相手を敬う心。日本は、インドの文化を花咲かせてくれた国である」とあります。マクスーダさんはどう感じますか。

塩谷(しおたに)サルフィマクスーダ インド・ジャンムーカシミール州スリナガル出身。カシミール大学卒業、同大学大学院博士課程修了。その後、2年間モンゴル国立大学留学。文学博士。84年来日。金沢市で印度料理「ルビーナ」経営。公立小松大学准教授、石川インド協会会長、国連のアジア・ユーラシア・人権問題の副会長。
タゴールの言葉は1916年の発言です。自分が来日した時はバブルの真っ盛りの時期でして、当時の日本人の印象は「相手を敬う、親を敬う」心があまり感じられず、代わって「平等」が強調されていました。家庭の中で、父母や祖父母に対する態度、言葉遣いの粗さに驚きました。一方、父親からは「俺は、誰のために働いているのか」という恩着せがましい言葉がしばしば聞かれ、家庭に愛を感じられず、インドの私が育った家庭とは違うと痛感したものです。
インドの家庭はどうなのですか。インドでは、結婚と家庭を重視しているが、日本の若者には結婚願望がない、と著書でも指摘されていますね。
両親の姿を見て育ち、自分も早くから結婚したいと希望していました。父は愛にあふれた人であり、母は幸福そのものでした。結婚生活とは男女のバランスの取れた美しい愛を実現できる場であると幼い時から感じて憧れていたのです。
ところが、日本では2人の他人が一つ屋根の下でよそよそしく生活している、そんな印象でした。
具体的な事例を。
大晦日(おおみそか)に家族親戚が集まっても皆さん会話を楽しむのではなく、一生懸命に、NHKの紅白歌合戦を食い入るように真剣に見ている光景に驚きました。インドでは家族、親族が集まれば、もうお祭り騒ぎです。
インドでは父が仕事から戻ると、母は事故なく無事に帰宅してくれた喜びを神様に感謝します。ですから、父が用事で外出したからといって、母が先に休むということはあり得ません。インドにいた時、私が熱を出すと、父は私の手を握りながら、「自分は今日、会社を休み、お前のそばにいる」と言いました。会社もそれを認めてくれます。
日本で私が結婚後のある日、「頭が痛い」と言いました。実は仮病でした。当然、家族は私のそばにいてくれると期待して言い出したのです。ところが、夫も母も「休んでいなさい」という一言だけで仕事に行ってしまいました。
夕方、帰宅した母はきっと私を心配してくれるだろうと想像していましたが、部屋のドアを開けて私が布団の中にいるのを見ると、声も掛けずにドアを閉めていきました。
その時はとても寂しく感じたのですが、後から、日本はそっとしてあげる文化であり、インドはかまってあげる文化の違いであると気づきました。同時に、日本は家族よりも仕事を優先する社会であり、日本人は「忙しさ」の棺の中にいる、と感じて驚きました。
結婚や家族を大事にするという文化は、ヒンズー教やイスラム教と関係していますか。
インドの場合、宗教よりも昔から家庭は大事、子供は大事だという文化が特別強いことが原因だと思います。今の日本ではよく、子育てをする時間がない、育てるだけのお金がない、と聞きます。
インドでは、親が子供を産む、産まないではなく、神様からの授かりものであり、その親にとって必要な分は生まれる前から神様より約束されている、というふうに考えられています。そして子供を通じて親としての喜びを味わうようにされています。
日本で、財布が別々という夫婦の存在を知り、驚きました。インドでは、収入は家族の共有の財産という理解です。私自身、日本で12年間、学問に励む夫のために働きましたけど、自分のお金だと思ったことは一切ありませんでした。ITエンジニアなどが欧米などに出て帰国して、徐々に保育所に子供を預けるなど海外の文化がインドに入ってきていますが、インドの離婚率は1~2%です。
17世紀のイギリスの詩人、ジョージ・ハーバードは「一人の父親は100人の校長に勝る」という素晴らしい言葉を残しています。インドでも「お母さんの足元には天国がある」という素敵な言葉があります。これは、母親の言葉に従えば、幸せになれるよ、という意味です。日本人はもっと家族を大事に扱うようにすれば、家庭に幸せが宿り、もっと離婚も減ると思います。
著書の中にあった「ハーフでなく、ダブル」。この言葉も普及させないといけませんね。
これは、日本とインドの教育の違いに悩み、9歳と10歳の子供をインドの山奥にあるインターナショナルスクールで学ぶようにした時のことでした。娘は、以前「変なインド人の顔の日本人」などと言われたことがあります。
インドでも同じような反応をされるのではないか、と覚悟していたようです。ですから、はっきりと「私の母はインド人、父は日本人。私はハーフです」と言ったら、そこにいた子供たちが「ハーフじゃない。二つの素晴らしい文化を持っているから、ダブルだよ。自分を誇るべきだね」と皆が口々に言ってくれたのです。娘の心の中の霧を消し去ってくれる素晴らしい言葉でした。この言葉を本当に広めたいです。