対テロ戦に消極的なオバマ氏
ウクライナでは融和策
米国の倫理的正当性を否定
【ワシントン】国防長官は「世界の至る所が爆発している」、司法長官は、テロの脅威で「夜も眠れない」と言う。これは、現状を見れば、誰の目にも明らかだ。人質のカイラ・ミューラーさんの死亡が10日、確認された。11日には、イエメンの米大使館員らが退去した。イエメンは昨年9月にオバマ大統領が、米国のテロとの戦いの成功例と言っていた場所だ。
国外がこれほど混乱しているにもかかわらず、それに対してオバマ氏は、無気力と受け身の姿勢でしか対応してこなかった。
国家安全保障担当の大統領補佐官は、心配は要らないと言う。第2次世界大戦ほどではないという。混乱していると言っても、人類史上最大の破壊と戦争をもたらした第2次大戦のレベルにはまだ達していないから、安心していいと言っているかのようだ。その一方で大統領は、懸念を増大させているのはマスコミだと主張している。
ロシアは、ウクライナ東部深くに入り込み、「イスラム国」は、ヨルダンのパイロットを焼殺した。イランは、アラブの4カ国の首都に影響力を拡大している。ベイルート、ダマスカス、バグダッドと、最近はサヌアにも手を伸ばしている。
米国はそれをじっと見ているだけだ。オバマ氏はこのやり方を「戦略的忍耐」と呼ぶ。これは、戦略があると見せて、実は「行動しない」と言うのと同じだ。
ロシアを例に取ってみよう。メルケル独首相との1時間に及ぶ記者会見で出てきたニュースといえば、ウクライナに防衛的兵器を供給するかどうかはまだ決めていないという点だけだった。ロシアは、T80戦車とグラード・ロケット砲を投入している。米国は人道支援を実施し、毛布、軍用携行食、心理カウンセラーを送った。
ウクライナにぴったりの支援だ。T80の砲撃を受ける人々の心の痛みをカウンセラーを派遣して癒やそうというのだ。オバマ氏は、「ウクライナの人々は、米国が共にいるということを確信してくれるものと思う」と語った。
毛布のことも忘れてはいけない。エリオット・エイブラムズ氏は、米国はかつて民主主義の武器庫だったと語った。それが今では、毛布の保管庫だ。
なぜ対戦車用兵器など防衛的兵器を提供しないのか。攻撃の被害者に武器を持たせることが、攻撃者を怒らせることを恐れたからだ。
このような現実的な融和策は、言葉の上での融和策と併用すれば一層効果的だ。オバマ氏があえて、過激組織を名指ししようとしないのはその一例だ。ホワイトハウスと国務省は一日中、パリのユダヤ食料品店が襲撃されたのは、ユダヤ人の店であることとは関係ないと主張していた。大統領が言ったように「食料品店でただやみくもに発砲しただけ」ということのようだ。だが、政府はその日のうちにこのたわ言を撤回した。それもツイッターでだ。
この消極的な姿勢は、戦略的にも、言葉の上でも、思想的にも、ブッシュ政権当時の過剰ともいわれるほどの干渉主義への反発もあろうが、それだけではない。失敗することへの恐れ、国内の左派からの圧力もあろう。だが、最大の要因は、われわれ、つまり米国、キリスト教徒、西側には、干渉し、進出する、つまり指導する倫理的な正当性はないというオバマ氏の固い信念にある。
オバマ氏は全米祈祷(きとう)朝食会で、他国の残虐行為を非難するのならまず、「高慢な態度」を改めるべきだと語った。「キリストの名で」十字軍、異端審問、奴隷制を作り出したことを認めるべきだと主張した。
あまりないことだが、オバマ氏のこの言葉は、陳腐でありなおかつ不快でもある。要するに、すべての宗教は罪を犯し、人間は堕落しているとでも言いたいのか。コロンビア大学の若い学部生らはこの言葉に深みを感じるかもしれないが、宗教指導者にとっては、信仰への侮辱だ。
もっと不快なこともあった。有志連合の戦争捕虜が焼き殺された時、連合の指導者である米大統領は2日ほどたって、「ジャンヌ・ダルクもそうだった」と言った。
しかし、オバマ氏が、キリスト教徒は罪を犯したと西側の道徳を否定するのは今に始まったことではない。2009年の就任後の世界懺悔(ざんげ)ツアーのテーマの繰り返しだ。ストラスブール、カイロ、国連総会などで「尊大、(欧州に対し)軽蔑的、先住民への迫害、拷問、広島、グアンタナモ、単独主義、イスラム社会への不十分な配慮」について自国を告発してきた。私もそのたびに書いた。
このような告発は、米国の世界の道徳的リーダーとしての立場を突き崩すためのものだ。ワシントンの祈祷朝食会での発言とウクライナへのカウンセラー派遣は直接つながっている。自身の道徳的な権威を損ねたり、自国の道徳的自信を損ねたりすれば、指導することはできない。
イスラム至上主義者らが無抵抗の囚人を焼殺し、「残虐行為の極み」に達している時に、わざわざ1000年も前に犯した罪を謝罪するのは、戦略的まひ状態に入るための準備をしたということだ。
これこそがまさに、戦略的忍耐というべきものだ。
(2月13日)






