混迷の度増すイエメン情勢
サウジ、空爆終了を宣言もすぐに再開
イエメン情勢が混迷の度を増している。首都サヌアを占拠し、ハディ暫定大統領を辞任に追い込んだ、イランの支援を受けるイスラム教シーア派ザイド派のフーシ派の壊滅を目指し、同大統領の復権を意図して空爆を開始したはずのサウジアラビア主導の連合軍は4月21日、突如、空爆終了を宣言、政治解決へと方針を転換した。しかし、その後すぐ、空爆を再開するなど、迷走状態が続いている。(カイロ・鈴木眞吉)
フーシ派武装勢力は強い抵抗
フーシ派が首都に侵攻、ハディ大統領追い落としに踏み込んだ直接の動機は、同大統領が新憲法に導入を図ろうとした連邦制を阻止することにあったとされる。理由は連邦制が、フーシ派を含むシーア派勢力を同国の山間部に押し込め、中央政府への影響力を弱める結果を招くことに懸念を抱いたことによる。
フーシ派はそもそも、同国北部を拠点とするザイド派の武装組織だったが、ザイド派の指導者、フセイン・バドルディーン・フーシ師が、治安当局に2004年9月に殺害され「フーシ派」と呼ばれるようになった。現指導者のアブドルマリク・アルフーシ氏は、フセイン師の異母弟。組織の正式名称は「アンサール・アッラー(神の支持者)」だ。
フーシ派は2013年から南部に勢力を拡大、14年9月には首都サヌアに侵攻した。15年1月には、ハディ大統領に辞任を迫り、事実上のクーデターを起こして、政府の実権を完全に掌握した。
イランは「過去数年間、フーシ派に武器を提供、戦闘機の操縦のアドバイスもしている」(イエメンのヤシン外相)とされ、イランは今年2月28日、フーシ派との間で、両国を結ぶ週14便の民間定期便の就航で合意した。3月1日には、イランのマハーン航空の航空機が、首都サヌアの空港に着陸、医療品や食糧約12㌧の支援物資を届けるなど、フーシ派支援を本格化させている。
フーシ派の勢力拡大とイランの支援に、「イラン・シーア派革命輸出」の意図を見て取った、イスラム教スンニ派諸国は、同派の盟主を自認するサウジを中心に危機感を強め、3月28日と29日に、エジプトのリゾート地シャルムエルシェイクで開催された「アラブ首脳会議(アラブサミット)」で、イランとフーシ派を批判して、南部アデンに秘密に逃れた国際社会が認めるハディ大統領への支持を表明、アラブ合同軍の創設まで決議した。
空爆は、フーシ派が侵攻・占拠した、首都サヌアや南部アデンの軍事基地や武器庫などを中心に行われたものの、国連人道問題調整事務所(OCHA)が4月23日に発表したところによると、空爆開始以来の死者は少なくとも1080人、負傷者は約4350人に上っている。
空爆を受けながらもフーシ派の抵抗は頑強で、占領地域を拡大するなど、一進一退だったが、サウジは4月21日、空爆作戦を終了すると宣言、世界中を驚かせた。なぜなら、当初目標とした、「フーシ派を掃討し、サウジに亡命中のハディ大統領を復権させる」という道半ばで、その道筋すらはっきりとは見えていない状況の中での方針転換だったからだ。
サウジ国防省は同日、作戦終了に先立ち、「フーシ派やサレハ(前大統領)派の軍部隊が保有する弾道ミサイルや重火器を破壊し、イエメンの制空権を掌握した」との声明を発表、「サウジや周辺国への脅威を食い止めた」として、空爆の成果を強調した。
しかし、案の定、南部都市アデンなど各地で、衝突は相次ぎ、空爆作戦も再開され、AFP通信によると、4月24日から25日に掛けて少なくとも92人が死亡した。
一方、サレハ前大統領は24日、声明を発表し、ハディ大統領支持勢力とフーシ派を含む国内各派に対し、戦闘を停止した上で政治対話に入るよう呼びかけた。
実は、アラブの春の嵐が吹きすさぶ中、長期政権を率いたサレハ氏は辞任を余儀なくされたが、その恨みを晴らすため、本人はスンニ派信徒でありながらも、シーア派のフーシ派と協力、復権を目指し、今日の状況をつくり上げてきたとみられている。
ハディ暫定大統領とフーシ派、サレハ前大統領の三つ巴の戦いで複雑さを増す中、武力を持たない国連外交は失敗続き(シリアやリビア、イエメンが典型)で、「強い者が勝つ」風潮が蔓延(まんえん)している。本気度が無い米国の中東外交も手伝って、イエメンを含む中東諸国は解決策を見いだせず漂流し続けている。