韓国に背向ける高位脱北者
北朝鮮の労働党や軍などでエリートコースを歩み、海外勤務時に韓国亡命を果たした高位脱北者たちは3万人を超える韓国定着脱北者の中でも厚遇されてきたが、社会に適応できなかったり、政府と対立して自ら韓国を離れ、難民のように流浪するケースも見られる。北朝鮮を捨て、さらに韓国にも背を向けざるを得なくなった彼らの裏事情を紹介する。(編集委員・上田勇実、写真も)
体制馴染めず政府とケンカ
「再脱出」し放浪するケースも
今月初め、フランスからある一本の国際電話が掛かってきた。「私の身柄を日本が引き取ってくれないだろうか」。電話口の相手は一昨年、東南アジアのある北朝鮮公館に勤務していた時、韓国入りした40代男性のA氏だった。
A氏は北朝鮮最高学府の金日成総合大学を卒業後、外務省入りし、海外に転勤したが、現地で外貨稼ぎを迫られた際にあるトラブルに巻き込まれ、亡命を決意。韓国では政府系シンクタンクの研究員として第二の人生をスタートしたが、「自分が引き起こした些細(ささい)な出来事」(A氏の元同僚)で昨年9月に退社した。定職には就けず、マスコミのインタビューを受けるなどして細々と暮らし、建築現場の日雇い労働もした。
「経済的に困窮し、活路を求めていたようだ」と、A氏を傍(そば)で見てきた脱北者は言う。実は記者も今年5月、ソウルでA氏に会った。その時、「資本主義システムがよく分からず、食べていくのが大変」と漏らしていた。元の職場に復帰を申し入れたが、無下(むげ)に断られたという。
A氏は日本へのSOSが受け入れられないと判断したのか、フランスから欧州の「脱北者大国」とも呼ばれる英国に渡った。A氏の友人の一人は「韓国籍を取得したことを伏せ、難民申請するつもりなのだろうか」と安否を気遣った。
2010年2月、韓国から妻子を連れ来日した人民武力部出身の脱北者B氏(50代)は依頼されていた講演を終え、その足で大勢の知人がいるという欧州に向かった。ところが、韓国帰国の予定日を過ぎてもB氏一家は戻らず音信不通に。韓国の情報機関は日本政府が意図的にB氏を第三国に逃がしたのではないかと一時疑いの目を向けた。
「韓国政府には大変失望している」。その前年の冬、ソウルで初めて会ったB氏は記者に真顔で語った。旧東欧圏でホテルの副支配人を任されていたB氏に対し、韓国情報機関は亡命を勧誘していたらしかった。「行先は米国、名前は公表せず」というのが亡命の条件だったが、蓋(ふた)を開けてみれば韓国に連れてこられ、名前も公表されてしまった。
その後、A氏と同じシンクタンクに就職。義理の父親は核開発に関わった人物だったといい、質の高い情報提供が期待された。だが、韓国政府への反感を抑えきれず、訴訟に発展した。日本に向け出発する日の朝、仲の良かった会社の同僚はB氏から「親友の証だ」とだけ告げられ自宅のカギを預けられたが、韓国を離れることはおくびにも出さなかったという。
B氏は欧州を経由し現在、北米に滞在するとの情報があるが、詳しいことは分からない。
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北朝鮮で比較的恵まれた立場にいながら韓国に亡命し、韓国でも安定した職場まで得たはずの高位脱北者たちが「再脱出」する理由はさまざまだ。多くの場合、本人に問題があるという指摘も少なくない。
ただ、「韓国にとって脱北者受け入れは南北統一に向けたミニ実験に等しいという発想で、再脱出した彼らを再び呼び寄せるくらいの包容力があってもいいのでは」(金興光(キムフングァン)NK知識人連帯代表)という声もある。
昨年、在英北朝鮮公使、太永浩(テヨンホ)氏の韓国亡命が大きなニュースとなったが、北朝鮮に融和的な文在寅(ムンジェイン)政権の発足を機に早くも活動の舞台が狭まっているという。思い描いていた「楽園」とは程遠い韓国の現実に高位脱北者は戸惑いを覚えている。