安倍首相だけを指弾できない


韓国紙セゲイルボ

「務実力行」に背向けた韓国指導者

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ソウルで開かれた日韓国交正常化50周年記念行事に出席した韓国の朴槿恵大統領(右)と額賀福志郎日韓議員連盟会長(代表撮影・時事)

 安倍晋三首相。なぜそんなにも頑(かたく)なに植民支配と日本軍慰安婦強制動員を謝罪しようとしないのだろうか。彼の歴史観は明らかに歪(ゆが)んでいる。

 だが、一つ考えなければならないことは、韓国がフランス、英国のような国力を持ち、ユダヤ人のような影響力を持っていたら、そのような傲慢な態度を取るだろうか、ということだ。

 光復(解放)70年、韓日国交正常化50年。日本に向かって「歴史を反省せよ」と糾弾する。だが、本来深く反省しなければならない側は私たちではないだろうか。力を育てることができず、争いだけが繰り返される。政争と理念対立では力を育てることはできない。

 以史為鑒(歴史を以て鏡と為す)。1921年6月27日、黒河事変が起こった。「自由市事変」ともいう。真相はこうだ。その前年、洪範圖(ホンボムド)・金佐鎮(キムジャジン)将軍の鳳梧洞戦闘と青山里戦闘で日本軍を脅かした。日本軍は掃討に出て朝鮮人数万人を虐殺した。

 これに押された満州独立軍は密山で3500人規模の大韓独立軍団を結成して、ソ連の赤軍があった沿海州スヴォボードヌイに行く。軍団には金将軍の北路軍政署、洪将軍の大韓独立軍もあった。

 どうなったのか。“惨めな”権力争いが広がった。軍団を掌握しようとする高麗共産党系列の派閥が赤軍と組んで、反対勢力を攻撃した。数多くの独立軍が亡くなった。272人が死んで、250人は行方不明、917人は赤軍の捕虜として捕らえられたという。どれくらい犠牲になったのか真相はベールに包まれている。

 以後にも独立軍はあちこちで生じたが、大きい戦闘は珍しかった。1937年金日成(キムイルソン)が主導したという普天堡戦闘はわずかに巡査7人を射殺しただけだ。日本軍3300人を射殺した青山里戦闘とは比較できない。

 満州で独立軍戦争が弱まったのは、日本軍による朝鮮人掃討によるものなのか、黒河事変のせいだったのか。日帝植民支配が35年も続いたのは民族精神が足りなかったからなのか、醜い指導者のためなのか。

 「何を反省するか」という安倍首相。韓国の指導者たちを見て言った言葉ではないだろうかと思う。安倍首相だけを指弾できない。さらに後ろ指を差されなければならないのは務実力行(「真実に務めよ、行いに力めよ」=民族独立運動家・安昌浩(アンチャンホ)の言葉)に背を向けたこの国の指導者たちではないか。

(姜浩遠〈カンホウォン〉論説委員、6月30日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。