韓国紙東京特派員「最悪の状況の今こそ対話を」


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李藝に学ぶ韓日外交術

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日韓共同制作ドキュメンタリー映画「李藝」のポスター。6月から東京を皮切りに日本各地で上映され、映文連アワード2013(主催・公益社団法人映像文化製作者連盟)の「優秀企画賞」を受賞。11月にも福島、仙台、長崎などで上映される

 韓日関係は1965年、国交正常化以来、最悪の状況に至っている。これを解決するために、外交と対話を通じて、韓日関係を切り開いてきた歴史的前例に学ぶ必要がある。鶴城李氏の始祖である朝鮮初の外交官・李藝(1373~1445)がその人だ。

 蔚州で生まれた李藝は43年間に約40回も日本を訪れ、対日外交で猛活躍した。世宗も1426年、「(日本を)知らない者を送れないため、おまえを送るのだから、面倒と考えるな」と彼を繰り返し任用した。

 李藝は8歳の時、倭寇に母が拉致され、苦痛を骨の髄まで味わっている。1397年、自身が仕えていた蔚山郡守が倭寇に拉致され、これに付いて行って戻ってきた後、外交官として本格的に活動することになる。

 彼は両国間の最も安定した時期と評価される15~16世紀の朝日通交の根幹となった1443年の「癸亥約束条項」締結を主導した。毎年50隻に限定して倭人の貿易船に渡航許可証を出すなど、朝鮮初期の対日関係を安定化させ、以後、倭寇侵略は一度もなかった。

 倭寇の侵略を抑え、対日関係を安定化させたことは、朝鮮の戦略的な外交であり、その先頭に李藝がいたのだ。

 もちろん昨今の韓日関係は非常に多くの部分で絡まっており、どこから解くべきか意欲さえ湧かない状況だ。安倍晋三首相に対する拒否感も相当で、国民的な反日感情はあちこちで噴出している。

 こうした状況では「信頼を土台に関係改善を追求する」と主張する朴槿恵大統領が対話に乗り出すことは簡単ではないだろう。首脳会談を行っても成果がないとか、会談直後、靖国参拝のような「後頭部殴打」の心配もある。

 だが、統一と東北アジアの平和を実現するためには、韓米同盟を核として日本と中国、ロシアなど周辺強大国との緊密な関係の中で行うべきだということは自明のことだ。日本との対話に出るべき理由である。

 韓日関係の亀裂は、われわれの同盟および対外戦略全体を揺るがす。しかも、日本は市場経済と民主主義などを共有し、われわれと最も近い隣国ではないか。戦争や断交によって現状打破を試みないならば、今こそ積極的な外交と対話に出なければならない。内政の失敗は権力者自身の汚名で終わるが、外交の失敗はその惨禍が国民全体に及ぶ。

 信頼を積んでから対話して関係改善を試みるのも必要だが、対話をしながら信頼を積み上げるのも方法だ。国民は1、2度の会談で顕著な成果が出るとは思っておらず、対話直後に日本の突出行動があり得ることは十分に承知している。「交渉だけが問題解決の道」である。

(金容出東京特派員、10月27日付)