戦略原潜基地建設急ぐ中国

杉山 蕃元統幕議長 杉山 蕃

仲裁裁の判決を無視

国際政治での孤立は不可避

 南シナ海問題に対し、7月12日注目の仲裁裁判所の判決が下され、提訴国フィリピンの主張に沿った内容の結果となった。中国の一方的活動、主張は、客観的に目に余るものであり、国際的な反応は、「当然の判決」と歓迎する向きがほとんどと言えるだろう。これに対し中国は「判決の無効」を声高に唱え、対決姿勢を鮮明にしているが、今後の展開について主として軍事的観点から所見を披露したい。

 今回の判決の核心となったのは、中国が主張する南シナ海ほぼ全域にわたる領海化主張を切り捨て、南沙諸島には「領海・経済水域の基点となる島嶼(とうしょ)は存在しない」としたことであろう。これにより、九段線と称する中国による領海化主張は、国際的に根拠を失ったのみならず、「領海」が認められないことから、米軍が行っている「自由航行作戦」に対し、苦しい立場に追い込まれたことは否めない事実である。

 南シナ海領海化の目的は種々取り沙汰されているが、地中海、カリブ海に匹敵する大海洋域を、独り占めにし、資源を独占せんとする大きな野望も当然ながら、喫緊の課題は戦略的軍事態勢の構築にあると考えている。中国の核戦略体制は米露英仏に比し、まだまだ遅れている。特に近年力を入れているのが戦略ミサイル搭載原子力潜水艦(SSBN)の戦力化である。晋級原潜による水中発射技術の開発に成功し、現在4隻と言われる(ジェーン年鑑)体制を米露並み(14隻)に近づけたいのが、本音であろう。この戦略原潜の根拠基地となるのが海南島地区であり、空母基地と並んで大規模な建設が進んでいる。この軍事的根拠を深く静かなものとするためには、周辺海域の支配が欠かせぬ「核心的国家利益」なのである。軍事的に見れば、中国戦略体制の整備とともに、米露中の戦略原潜にかかる「追尾・調査戦」が、再び活発化するのは目に見えている。原潜は一度出港するや、相手国の音響収集網、調査船、対潜哨戒機、追尾用原潜の追跡を受け、徹底的な行動監視を受けるのが軍事的常識である。基本的には、潜水艦は他国の領海での潜水航行が禁じられているため、海南島前方に巨大な領海を有するか否かは、その戦略原潜基地としての価値に決定的影響を及ぼすことは明らかである。西沙群島を実効支配し中沙・南沙に軍事拠点を構築しつつあるのは、実効支配が何より優先する領土問題の大布石であり、戦略的海域確保の鍵となる事業とみなければならない。

 判決発出後の中国の態度は予想されたごとく、強硬そのものであり、「茶番劇」といった過激な用語で裁判・判決の無効を主張するほか、東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議における決議をカンボジアを使って不成立としたり、国際的な非難決議を手段をいとわず回避する挙に出ている。中国らしいやり方ではあるが、このようなやり方は、今後国連をはじめとする国際政治の場で、孤立していくことが懸念される。特に、仲裁裁の裁判官に、事前工作的接触を試み拒否された事実が公表されたり、大国としての矜持(きょうじ)に疑問を生ずることは、これ以上やるべきではないだろう。

 我が国の対応であるが、仲裁裁判決を歓迎し、南シナ海における航行自由の原則を共有することを第一義とし、中国による領海化、岩礁・浅瀬に軍事基地を建設していくやり方には、強く反対していくことは当然であるが、さらに中国が強硬策を進めた場合、例えば南シナ海九段線を基準に防空識別圏を告示し、航空機の運航に軍事的制約を加えんとするような動きに対しては、十分な法的根拠を準備し、対応していくことが必要である。ちなみに、防空識別圏は、各国が自国防衛のため、周辺を飛行する航空機の国籍等を識別する空域的な範囲を定めているもので、運航を制限したり、許認可を行ったりする性格のものでは無い。しかるに中国は尖閣問題とも関連し、一方的な通告と、軍による管轄を公告したもので、本来管轄権を持っている国際民間航空機関(ICAO)関連国際法規に逆らうものである。

 さらに我が国としては、仲裁裁の判決を尊重する動きを国際的に広めることが重要である。我が国が抱えている尖閣・竹島・北方領土の問題には、「国際紛争を武力による解決は行わない」とする我が国の平和国家としての「高い理念」を逆用した周辺諸国の巧妙なやり方が見え隠れする。このような状況を打破する一つの対応として、今回フィリピンが行った仲裁裁への提訴は、重要な参考事案であり、本判決の今後の展開は、我が国にとって極めて大きな方向性を示唆しているのである。

 中国は一党独裁、独特の政治体制ながら、国民の不満、民生の安定度という面からは、常に大きな負担を抱えている。特にインターネット時代、国民の対外的強硬意見は常に大きなうねりを生む。国際問題に関し、まず対応しなければならないのは、国内宣撫(せんぶ)(内宣)であるという。南シナ海問題については当然のことながら、最も激しいのは国内民衆の意見であろうから、短時間に譲歩路線に切り替えることは困難であろうことは理解できるが、仲裁裁判決をトリガーに、大国として国際的視野に基づく妥協点を目指す一歩としてほしいものである。

(すぎやま・しげる)