143人に及んだ焼身自殺、チベットの自由求めた魂の叫び
亡命政権のセング主席大臣が会見
日本を訪問したチベット亡命政権のロブサン・セング主席大臣が、このほど東京の大本山護国寺で講演した後、記者会見し、チベットにおいてこれまで143人が焼身自殺しているが、「これは絶望によるものではなく、チベットの自由を求めた政治的訴求行為だ」と強調した。セング主席大臣の訪日はこれで2回目となる。
(池永達夫、写真も)
文革前から宗教迫害
僧院破壊し僧の還俗強制
主席大臣はまず、環境問題に触れ「ヒマラヤ地域は東西2500キロ、南北1000キロに達し、氷の貯蔵庫として南極、北極に次ぐ第3の極だ」と指摘した上で、これまで氷河の50%が解け、2050年までに残った氷河の50%が解けることもあり得ると語り警鐘を鳴らした。
さらに主席大臣は「インダスもガンジスも、さらにメコン、イラワジ、黄河、揚子江の源流はチベットにある。何世紀にもわたってこれらの水は共有されてきたが、中国は全てを欲しがっている」と述べ、中国全人口の約3分の1に匹敵する4億人の人々が水不足に遭遇してもいる中、これらの河川を全て中国側に流れるようにすることも可能だと警告。オイル戦争の次に来るのは、ホワイトゴールドと呼ばれる水をめぐる戦争になる可能性を指摘した。
また主席大臣は、チベットの地政学的重要性に触れ「チベットが中国に侵攻されたことで、インドとの緩衝地帯がなくなった」と総括した。
チベットは、もともと中国も認めていた独立国家だった。チベットには通貨もあったし、郵便制度も持っていた。裁判もチベットで行われていた。モンゴルやネパールに対しても主権国家同士の条約を結んでいた。
しかし、中国人民解放軍のチベット侵攻により98%の僧院が破壊され、99・999%の僧侶が還俗(げんぞく)を強制された。これは文革前2年に当たる1963年までに起きていた。これまでチベットでの宗教迫害の元凶は文革だったとされてきた経緯があるが、実に文革が始まる2年前にこれらは起きていたというのだ。
さらに文革で宗教の徹底弾圧が始まったものの、チベットでは文革後、僧院再建に励んできたことは注目に値する。
チベット人は亡命先のインドやネパールなどの、主要僧院を再建しただけでなく、チベットで仏教をもう一度、再興できたことは幸運だった。民族のアイデンティティーのコア部分を形成する宗教が死滅すれば、国家どころか民族そのものも雲散霧消しかねないからだ。
そのチベットでこれまで143人が焼身自殺している。この焼身自殺に関し主席大臣は「これは絶望によるものではなく、チベットの自由を求めた政治的訴求行為だ」と強調した。
どのような人間にも生死の選択肢が与えられているものの、不幸なことにチベット人たちは死ぬことを選択をしている。これは継続的な占領と抑圧に原因があり、耐え難い抑圧を前に焼身自殺による抗議を続けているというのだ。
一方、ダライ・ラマの転生に関し、「転生とは精神的にも外的にも、生まれ変わるものであり、ビジョンやミッションを完了するために、本人の意識がなくなる時、母の子宮に入って生まれ変わる。これは共産党が決めるものではない」とした上で「転生は亡命先の地で行われ、中国で生まれ変わることはあり得ない」ときっぱり述べることで、転生したダライ・ラマを中国共産党政権が指名することでチベット取り込みを図ろうとする思惑を牽制(けんせい)した。
さらに主席大臣は「中国はダライ・ラマを悪魔呼ばわりするが、転生すると悪魔の転生になるのか」と述べ「転生を望むなら、まず毛沢東や”小平の転生を実現してほしい」と皮肉った。






