タイ暫定憲法が発効、総選挙は早くて来年9月

国民投票は新年早々か

暫定政権、タクシン派排除目指す

 タイでは昨年5月22日の軍事クーデターにより2007年憲法は廃止され、プラユット首相(前タイ陸軍司令官)率いる暫定政府の下、憲法起草委員会が新たに制定した暫定憲法が7月16日発効した。これにより次の政治課題は、年が明けた新年早々にも実施が予想される新憲法最終案の是非を問う国民投票へと焦点が移る。仮に国民投票が可決された場合、来年9月の総選挙実施、その結果を受け年末にも民政移管の可能性が高まることになる。ただ、タイの暫定政権はタクシン派の排除、もしくはその力をそぎ落とすことを明確な目標としており、タクシン派が具体的な抵抗運動に打って出た場合、政治が流動化する可能性も否定できない。(池永達夫)

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演説するタイのプラユット暫定首相=4月、バンコク(EPA=時事)

 これで今年9月にも新憲法を制定するとの暫定政府の当初のもくろみは破綻し、総選挙は早くて来年9月以降となる見込みだ。さらに、国民投票で新憲法が否決されると、さらに総選挙は延長を余儀なくさせられる。22日でクーデターから1年2カ月が過ぎた。タイの治安は回復したものの、国家を二分するタクシン派と反タクシン派の間に横たわる溝は、深まりこそすれ埋まる見込みはない。むしろ、プラユット首相率いる暫定政府のタクシン派排除の強硬姿勢に、じっと我慢の沈黙を保っているタクシン派は嵐の前の静けさをも感じさせる。物理的な強制力を行使できるクーデター政権を前にしたタクシン派の内実は、口から煙を出さないものの、心の内に燃え盛る炎があるのは事実だからだ。なおタクシン派との軋轢(あつれき)が表面化した場合、タイは再び政治的安定を失うことになりかねない。昔ならプミポン国王の仲裁で政治的解決が図られるところだが、高齢で病に伏しているプミポン国王が登場できる状況ではない。

 タイでは2006年以降、東北部と北部の住民、バンコクの中低所得者層の支持を集めるタクシン元首相派と、特権階級、南部住民とバンコクの中間層を中心とする反タクシン派の抗争が続き、政治的にも社会的にも混乱が続いた経緯がある。軍部は昨年5月20日、治安回復を理由に戒厳令を発令。さらに5月22日にクーデターでタクシン派政権を倒し、全権を掌握した。軍は当初、両派の和解を目指すとしていたが、タクシン派の官僚、軍・警察幹部のほとんどを左遷させ、地方のタクシン派団体を解散に追い込むなど、タクシン派つぶしを推進した。今年1月には、軍政が設立した非民選の暫定国会「立法議会」が、「コメ担保融資制度をめぐる職務怠慢」でインラック前首相を弾劾にかけ、前首相の参政権を5年間停止させてもいる。

 軍部は過去、20回近くクーデターで政治のテーブルをひっくり返し、汚職政権や少数政党の寄せ集めで何も決められない政権に対するレッドカードを突き付ける“役割”を果たしてきた経緯があるが、今回は脇が固く、簡単に政権を手放す意向は皆無だ。06年のクーデターでは、早い段階から選挙管理内閣へと手綱を緩め、次の総選挙でタクシン派政権の大勝ちを許したが、二度と“失敗の轍(てつ)”を踏むようなことはしない覚悟が断固とした姿勢を取り続けるプラユット首相の背中ににじみ出ている。

 なお、軍事政権の長期化で懸念されるのは、中国によるタイ政権取り込みだ。

 欧米がタイのクーデター政権に対し制裁を科す中、積極的に暫定政権の後ろ盾役を買って外交攻勢を掛けてきたのが中国だった。昨年には李克強首相は、タイを訪問し、プラユット首相とタイ高速鉄道の共同開発をうたった了解覚書に調印した。ミャンマーの軍事政権に対してそうであったように、中国は外交の空白地帯に積極的に出てきて、近隣諸国を「中国百年の大計」の中に組み込むという常套(じょうとう)手段をタイにも行使したのだ。今回はタイ東北部のノンカイと南部ラヨーンまでの鉄道建設への道筋を付けたわけで、ラオスの鉄道が完成すれば、中国は北京からシンガポールまでの鉄路を確保することになる。

 中国は1990年代、李鵬首相が推進した南進による東南アジア諸国連合(ASEAN)取り込みを続けてきたその果実を手にしつつあるのだ。

 こうした懸念を払拭すべく、城内実外務副大臣らがタイを訪問しプラユット首相の日本訪問に道を開き、チェンマイ-バンコク間の高速鉄道建設に向けた合意を取り付けている。欧米が民主主義の理念からタイ軍事政権に制裁を科さざるを得ない中、わが国は同じアジアの国として中国を利するだけの制裁外交ではない、実務外交を展開しているのは評価されてしかるべきものだろう。日本側とすればこうしたタイの中国急接近にブレーキをかけ、ASEANが中国に取り込まれてしまわないように布石を打つ必要がある。