「居住証」導入で格差是正、中国が戸籍制度改革
世界第2の経済大国となった人口13億人を抱える中国は、医療や教育をめぐる都市と農村の格差是正が喫緊の課題だ。中国政府は従来の戸籍制度に加え、新たな住民票に似た「居住証」制度を導入し、都市と農村の戸籍の違いから生まれる差別を段階的に解消する方針を打ち出して農民の不満を抑制しようとしている。
(香港・深川耕治、写真も)
出稼ぎ農民の不満を抑制
都市へ1億人移住目指す
中国共産党の規律検査委員会は7月29日、周永康・前党中央政法委員会書記を重大な規律違反の疑いで立件することを決め、党幹部の腐敗一掃に努める覚悟を示した。しかし、党幹部の汚職腐敗だけでなく、農民の戸籍問題を通じた理不尽な貧富の格差拡大に対する不満は増大するばかりだ。
2009年12月、中国共産党の政治理論誌「求是」には当時、党中央政法委員会書記だった周永康氏が「戸籍管理制度改革を速やかに行い、流動人口の就業、居住、医療、教育などの問題を解決する」と講話での内容が掲載されていた。
戸籍制度を管轄する公安省を牛耳っていた周氏でさえ戸籍制度の改革推進に意欲的だったことが分かるが、実際は周氏の規律違反の立件がされる時期を待って李克強首相が主導する戸籍制度改革にいよいよ舵(かじ)を切った形だ。
人口13億人のうち農民は約9億人。12年の国家統計では農民工(出稼ぎ農民)は2億6300万人となっている。中国では、都市戸籍と農村戸籍という二元戸籍制度ではっきり分けられ、特に農民にとって極めて不利な立場を強いられてきた。
中国の戸籍制度は1958年、農村から都市への人口移動を規制する目的で戸籍登記条例が発布され、63年には農業戸籍と非農業戸籍に分ける二元管理制度が正式に確立・導入された。
農村部の戸籍しか持たない農民は移動が制限されているため、農民は出稼ぎに行っても都市部での教育、年金、医療などの社会保障はなく、農民工の子供は公立小中学校での教育を無償で受けられない差別を生んだ。
英経済誌「エコノミスト」は「中国版南アのアパルトヘイト政策だ」と批判。「改革開放の利益矛盾から最低賃金すら得られない無戸籍状態の二等公民を生 んだ」(香港誌「亜洲週刊」)との指摘もある。
都市部で公的な医療保障を受けられない農民工は「闇診療所(黒診所)」と呼ばれる無認可の違法診療所で治療を受けるしかない状況が続いてきた。
北京市内では今なお、民家の一室に赤十字を掲げる「黒診所」が点在。北京市は2010年以後、毎年約1000カ所の闇診療所を閉鎖処分にしたが、大半は数日後には元の場所か周辺で再開しており、農民工の患者が高額医療を強いられているのが実態だ。
人事社会保障省の12年の統計によると、農民工のうち健康保険に加入していたのはわずか約2割。保険による払い戻し手続きは支払い後に行われ、手続きが煩雑化していることで保険加入者でさえも大病すれば自己破産に陥るケースもあり、保険加入者が広がらない理由だ。
農民工の子女教育に関する差別も深刻化している。都市部で初中等教育を受けていても大学入試は戸籍所在地で受験することが義務付けられ、江西省出身の女子受験生が上海市内の学校を受験できず、ネット上で賛否論争が過熱するほど関心は高まっている。
30日、北京で記者会見した黄明公安省次官は「戸籍制度改革はかつてない大胆かつ幅広い実施内容となる」と語り、新たに「居住証」と呼ぶ住民票に似た制度を導入し、居住地に応じた行政サービスを受けられる戸籍制度改革を断行すると表明した。
新たに導入される居住証は、移住して一定の年数を経た人に対して順次発行し、居住証の所持者は医療や教育、年金、介護など基本的な行政サービスを現地戸籍の所持者と同等に受けられる画期的なものとなる。
これまで中国メディアは都市部で冷遇される農民工問題の深刻さを繰り返し報じ、不公平を解消するために戸籍法の見直しが再三求められていたが、戸籍法について担当する公安部門が制度撤廃に反対して改正が遅々として進まなかった経緯がある。改革が進まなかった最大の要因は、戸籍規制が撤廃されれば都市部が過密化し、新たに都市部で準備しなければならない公共サービスのコストが膨大化し、いかに財源を確保するかで試行錯誤してきたことが大きい。三農問題(農業、農村、農民)は、その点で中国共産党が直面する最大の課題だ。
昨年12月、公安当局は都市化推進策の一環として20年までに出稼ぎ農民が出稼ぎ先の都市部で戸籍登録できる制度を整えることを明らかにし、ようやく重い腰を上げた。都市部の企業に正規雇用されるなど一定の要件を満たした出稼ぎ農民の場合、希望すれば出稼ぎ先で都市戸籍の取得ができる制度改正を行う方針を表明。
今年3月、中国政府は14~20年の都市化計画を発表し、農村から都市部への人口移動を促すため、輸送網や都市部のインフラを大幅に拡充することを明らかにした。都市化や消費主導型の経済成長を目標に掲げ、全人口に占める都市人口の比率を現在の53・7%から20年までに60%に増やし、内需を喚起して輸送網や都市部のインフラを大幅に拡充する。
都市と農村の差別を撤廃する戸籍法改正を施行することで、20年までに農村から都市へ1億人が移住することを目標に緩和していく方針だ。
背景には、農村から都市部への人口流入を促進させることで内需喚起を促し、大規模な公共インフラ開発を創出しながら消費主導型経済への転換を図ろうとの李克強首相の狙いがある。さらに人口20万人以上の全都市には普通鉄道を敷設し、人口50万人以上の都市は高速鉄道で連結させるなど、交通インフラの拡充も進めている。
中国政府は3月、沿海部に比べて開発の遅れが目立つ内陸部の発展促進のため、中小規模の都市の数を増やして農村から都市部への人口流入に対応する方針も打ち出した。戸籍法改正で内陸部と沿海部の格差がどこまで是正されるか、副次的な問題派生も含め、中国の社会構造が大きな転換点を迎えている。