タイのインラック首相失職、深まる政治的混迷
「赤と黄」に見る「利と理」の溝
タイ憲法裁判所による7日の違憲判決で、反政府デモの辞職圧力に最後まで抵抗してきたインラック首相がついに失職した。これで赤シャツ軍団に象徴されるタクシン元首相派と黄シャツデモ隊に象徴される反タクシン派との間の、国家を二分する対立が一層先鋭化するのは必至の情勢だ。ただ、「赤と黄」の間に横たわる溝は「利と理」の深い溝でもある。(池永達夫)
都市中間層、利益誘導型政治に反発
憲法裁判決では公職追放を免れたタクシン元首相の妹インラック氏だが、ほかにも国家汚職追放委員会が、コメの買い上げ制度をめぐり告発を検討しており、その政治生命は危機的状況にある。
このコメ買い上げ制度は、タクシン派政権の実態を如実に示している。
タクシン元首相の息のかかった政権与党のタイ貢献党は、タイ北部や東北部の農村を選挙基盤とする政党だ。
その票田を固めるためインラック政権が打ち出したのが、コメの買い取り制度だった。いわゆる農民救済と言う大義名分の下、タイの主要産業であるコメの買い入れ価格を2年近く、従来の相場の4割増しから9割増しの値段で買い入れたのだ。
農民は収入増を喜び、このバラマキ政策を歓迎した。
だが結果として、それまで30年近く世界一だったコメ輸出国タイの国際競争力は地に落ち、その座からの陥落を余儀なくされた。
コメ輸出が激減した最大の理由は、政府が大量のコメを市価の4割から9割増しで購入していることが大きい。これが国内米価を引き上げ、タイ米の国際競争力を低下させた。それだけではなく、買い入れ価格がコメの品質に関係なく一定だったことから、農民は味がまずくても収量のいいものに特化したことも大きい。さらにカンボジアやミャンマーなど隣国からコメ密輸なども横行し、不正が大手を振ってまかり通った事情もある。
結果としてコメが全く売れず、タイ政府の抱えるコメ在庫量は約2200万㌧、輸出量の2年分を超える量となっている。
都市中間層が多い反タクシン派の黄シャツデモ隊が振り上げた拳をなかなか下ろさないのは、こうした農民へ利益誘導を図ることで政党の支持基盤を固めようとするタイ貢献党への不信感からだ。いわば農民の一時的な利を図るポピュリスト政治が結果として、国家そのものの力をそぎ落とし、内外共にスポイルされた国柄へと転落することを危惧しているのだ。
その意味では「赤と黄」の溝は「利と理」の溝と言えなくもないが、その溝が埋まる趨勢(すうせい)には全くない。
タイ貢献党は憲法裁判決について、「政権の力を奪おうという陰謀だ」との声明を発表。支持者に平和的デモを呼び掛け、7月20日に予定されるやり直し総選挙で形勢逆転を狙う。だが2月の総選挙同様、反タクシン派のデモと実力行使によって国会を開催する議員数を確保するのは難しい状況だ。
タクシン氏の側近で、インラック氏と共に失職したスラポン副首相兼外相は判決を前に「違憲となれば、政府支持派の集会が暴力に発展する」と警告するなど、死傷者を伴う衝突の再発も懸念される。反タクシン派とすれば、選挙に強いタイ貢献党の正当性にお墨付きを与えるような選挙は何としてもボイコットする意向だ。
これでは政治的泥沼状況から脱出する打開の方法はない。
昔なら国王の仲裁で政治的解決が図られるところだが、高齢で病に伏しているプミポン国王が登場できる状況ではない。
タイ北部では6日、マグニチュード6の大きな地震があった。タイで地震というのは珍しく、現地紙には亀裂した地面の写真が掲載された。地面の亀裂は雨が降ればなくなる。だが、タイそのものを二分している「赤と黄」の亀裂はなかなか修復しそうにない。その亀裂の中に落とし込まれて身動きできないのはタイの国家そのものだ。