“特効薬”なき関係 外交に妥協は付き物

日韓国交正常化50年 「嫌韓」「反日」を越えて(2)

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慰安婦問題をめぐり日本政府に抗議するためソウルの日本大使館前に集まった韓国の被害者や支援団体関係者(2013年6月、上田勇実撮影)

 ソウルや釜山での在職を中心に韓国相手の外交官生活が40年に及ぶ日本人がいる。町田貢氏。外務省の韓国・北朝鮮担当の草分け的存在で、日韓国交正常化、金大中氏拉致事件、朴正熙大統領暗殺など数々の生々しい日韓外交、韓国政治の現場に居合わせてきた。1950年代、戦後の日韓外交草創期の雰囲気について町田氏はこう振り返る。

 「当時、日本側には『釜山赤旗論』というものがあった。朝鮮戦争で南東部の釜山を残し北朝鮮に全て占領された時、釜山にまで赤旗が立った(共産主義化された)ら日本にとって大変だという脅威論だ。どんなことをしてもそれだけは避けなければならない、だから韓国を早く支援し、そのために日韓国交正常化交渉をまとめて38度線(南北軍事境界線)を安定させねばならないという考えだ」

 日本の対韓外交の出発点には、韓半島の南側に自由民主主義国家を定着させなければならないという問題意識があった。安全保障上、韓国との国交正常化は日本にとってメリットになるという判断だ。

 その後、韓国は高度経済成長を果たし、北朝鮮に対する圧倒的な国力優位を確保。世代交代で韓国指導層の対日意識も変化していった。日本語ができる知日派や感情的な反日世代は引退し、豊かな時代を謳歌(おうか)し、日本にライバル意識を燃やす世代が現役の主流になりつつある。町田氏はこうした韓国側の世代交代に伴う自信感こそ今の日韓関係悪化の背景の一つにあると考える。

 また、これまで日韓関係の潤滑油として、双方の太いパイプの役目をしてきた日韓・韓日議員連盟が変質したことも影を落としていると指摘する。

 「日本からの経済支援を必要とした韓国側は、日本に言いたいことがあってもガンガン言えなかったし、首相を務めた金鍾泌氏や朴泰俊氏のように日本への要求が行き過ぎないようにする“止め男”もいた。だが、今の韓日議連は日本バッシングの先頭に立っている」

 だが、日韓最大の懸案ともいえる歴史認識について、町田氏の注文は日韓双方のいずれに対しても厳しいものだった。

 「日本はこれまで加害者として中韓に対する配慮をし、日本として許容できるスレスレの所で積み上げてきたのに、『ここが間違っていた』と指摘し始めたら積み上げてきたものが崩れてしまう。韓国も元慰安婦への償い金を支給した日本のアジア女性基金を拒否したり、ソウルの日本大使館前に少女像を設置するなど、トラブルの原因を作っている」

 10年前、弊紙は日韓国交正常化40年に際し両国の識者にインタビューを行った。町田氏もそのうちの一人で、日韓関係の今後を尋ねる質問に「日韓関係に“特効薬”はないかと探し求めてきたが、結局見つからなかった」と答えた。

 今回、改めて日韓関係への提言を求めると、次のような言葉が返ってきた。

 「日韓関係に“特効薬”はない。事実関係がこうだと指摘し合い、自分の主張を100%ぶつけたら衝突するのは当たり前だ。ぶつかりそうになったらとりあえず一歩引くこと。妥協すれば双方に不満が残るだろう。だが、外交には妥協が付き物であり、それが国家関係というものだ」

(編集委員 上田勇実)