漂流する在日コリアン 日本と共生、“親日”傾斜も

日韓国交正常化50年 「嫌韓」「反日」を越えて(11)

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新大久保コリアタウンの入り口にある韓流グッズ・韓国食材の専門店(昨年11月、上田勇実撮影)

 日本に中長期在留する外国籍者のうち、2007年に中国人に逆転されるまで最大勢力だった韓国・朝鮮人。このうち戦前・戦後の混乱期に日本に渡って定住した人とその子孫、いわゆる「在日」と呼ばれる人たちは、かつて60万人を超えたが、現在は約36万人にまで減っている。

 在日は「隣近所、学校も職場も日本人との共生なしには一日も暮らすことができない、100%日本人との信頼関係を築いていこうという哲学」(在日本大韓民国民団関係者)で生活してきた。

 一部日本社会での差別や偏見と闘い、出自を隠すため通名の日本人名を名乗るケースも多い。どうせ日本で生きていくならと、日本人に帰化する人が後を絶たない。だが、一方で韓半島出身者としてのアイデンティティーにこだわり、韓国・朝鮮籍であることに矜持(きょうじ)を持つ人もいる。

 在日の歴史は日韓、日朝関係に揺さぶられ続けてきた歴史だ。時の政治情勢や事件をただ固唾をのんで見守るしかないこともあった。なかでもとりわけ数奇な運命をたどったのが朝鮮籍者だ。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の元専従活動家だった李達完さんは、自らの半生をこう振り返る。

 「亡国の民として生を受け、少年時代は軍国少年たるを強要された。祖国解放後、民族運動に参加したが、それはとんでもない落とし穴だった。総連活動家として数十年、金日成一族の片棒をかつぎ、多くの同胞を『地上の楽園』だと偽って北朝鮮という収容所に送ってしまった。私は今、十字架を背負って生きている」