幻の合併・大東国 「近き者、相親しむは天理」

日韓国交正常化50年 「嫌韓」「反日」を越えて(13)

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昨年12月、都内で開かれた日韓児童作品交流展で、宇都宮市内の小学校4年の児童が描いた絵画「友達になろう」に見入る観覧者(上田勇実撮影)

 明治・大正期の政治運動家、樽井(たるい)藤吉は、同時期の福沢諭吉による「脱亜論」とは反対にアジア、特に韓半島との連携を主張したことで知られる。西欧・ロシアのアジア進出に対抗し、日本と朝鮮の2国が対等の立場で、互いの体制を尊重し合いながら合併する必要性を説いた。合併後の新しい国名は「大東国」だ。

 彼の主著『大東合邦論』には、以下の件(くだり)が出てくる。

 「日韓もともと親密の交わりあるも、依然として対峙(たいじ)し協力為らざれば、再び兵馬相見(まみ)ゆる変無きを保たざるなり。顧みるに、両国の前途は千里よりも遠し。近き者、相親しむは天理なり。是非とも、一歩進んで速やかに和合親密の成果を挙げ、以て子孫に至る永遠の幸福を求めるべき。もし大勢を察せず、両国の将来を慮(おもんぱか)らず、瑣瑣(ささ)たる事情に拘泥して、久しく安らかに治める政策を講ぜざるは、志や仁徳のある士の敢(あ)えて取らざる所なり。両国の政を為す者は、深思熟考しないでいられようか」(原文は漢文、一部筆者訳)

 つまり、隣国同士、古来より親交がある日韓は、対立ではなく協力を模索すべきで、両国の政治指導者はこれを肝に銘ぜよ、という内容だ。

 百数十年前の東アジアと世界情勢をそのまま今日に当てはめることはできない。またその思想は戦後、結果的にアジア侵略を先導したとの批判にもさらされたというが、樽井はこの「合邦」の枠組みに清(中国)を入れるべきでないと主張したとされる。当時、清は「文明的にまだ遅れており、朝鮮の独立を妨げようとしたため、合邦の精神にそぐわなかった」(木村幹・神戸大学教授)からという。

 力による現状変更の試みや繰り返される武力挑発など、現在の北東アジア安保を見た時、偶然ではあろうが樽井の思想は今日に通じるものさえ感じさせる。

 しかし、『大東合邦論』が完成した十数年後、日韓は樽井が夢見た「合邦」ではなく、日本による韓半島の「併合」という道に進む。「結局、日本人は口先だけ」と批判を浴びる原因の一つになったともいわれる。

 韓国側にはこの歴史を今なお問題視する「反日」感情が根強く、日本側はそうした韓国の姿勢に嫌気が差す「嫌韓」感情が広がっている。樽井がこれを見れば「大勢を察せず、両国の将来を慮らず、瑣瑣たる事情に拘泥して」と、同じ言葉が口を突いて出るのではなかろうか。

 日本はかつて韓半島を蔑視した時期があり、その後も韓国をはじめアジア諸国への関心そのものが低かった。韓流ブームやK―POP人気で韓国への好感度は急上昇したが、近年は大統領の行き過ぎた対日政策の影響などで、韓国や韓国人の全てを否定するような極端な「嫌韓」がネット上を中心に幅を利かせている。

 一方、韓国の対日感情は「加害者(日本)と被害者(韓国)」という構図の中で形成され、常に道徳的“優位”に立とうとし、日本が過去に積み重ねてきた誠意や主張にはあまり触れようとしない。経済的な発展を背景にした自信が「日本何するものぞ」というライバル意識を生み、「反日」感情をより強くさせている。

 「嫌韓」「反日」がかつてなくぶつかり合う中で迎えた国交正常化50年だが、取材を通じて感じたのは交流や協力を進める両国の底力だった。「近き者、相親しむは天理なり」という樽井の言葉を噛みしめた。

(編集委員 上田勇実)

=終わり=