極端な個人主義 少子化加速
文藝評論家・日本平和学研究所理事長 小川榮太郞氏(上)
わが国の急激な少子化、人口減少をどう見るか。
戦後、世界でも類を見ないほど極端な個人主義を、マスコミ、日教組教育、日本のアカデミズムが推進した。このイデオロギーとしての個人主義が日本の伝統的な家族のあり方を否定し、少子化にも大きく響いている。少子高齢化は「先進国病」の一つと言われるが、新しく出てきた「自由」や「個人」というものが、むしろヨーロッパやアメリカにおけるそれ以上に絶対化された。
欧米の場合、保守の基盤にキリスト教があり、新しい思想が出てきても、いくらでもカウンターでけんかができる。ところが日本の場合、そういった対抗軸がほとんどなく、長年、保守的な地盤だった思想が、戦後、一切合財、否定されてしまった。その結果、少子化現象もそうだが、日本社会は、政治で救えないほど、根底的な衰弱が進行して、今いろいろな問題が出てきている。
戦後の都市化の影響は。
先進国で一般的に起こった現象だが、今、東京は出生率が群を抜いて低い。子供が産めない町に若者が集まるという構造を解消することが必要だ。
これに対し、安倍政権は地方創生という政策を打ち出した。地方創生=人口政策であり、ビジョンとしては正しかったが、実際は何も手を打てなかった。
今、国の少子化対策は保育政策に矮小(わいしょう)化され、真正面から取り上げられない。
これも先ほど言ったイデオロギーの圧力が原因だ。イデオロギーとしての個人主義だったり、フェミニズム、ジェンダーフリー論の圧力は非常に大きい。とりわけジェンダーフリー論は家族と多産社会をぶち壊す最大の思想的なガンだ。彼らに「子供を産むことを強要するのか」などと言われても、保守側は理論武装できていないから、反論すらできない。
その上、日本人は同調圧力に弱い。その圧力がかかると横を見て様子見をしてしまう。
随分前になるが、柳澤伯夫厚生労働大臣(当時)が「女は子供を産む機械」と発言した。その内容は、文脈から言って決しておかしくなかった。しかしその部分だけが切り取られ、大臣自身の人格が全面否定されるような形でたたきつぶされた。こんなことがあれば、他の人はなおさら発言しにくくなるという循環が起こってしまう。
加藤寬治衆院議員は「3人以上の子供を産み育てていただきたい」と言っただけで、発言を撤回させられた。
日本のエリートたち、つまり言論界も政界も官界も財界も弱虫で、正論を言い出せない。みんなで唇寒しと構えて様子を見ているうちに、この社会は、本当のことを言うと叩(たた)きのめされる社会になってしまった。それが今の少子化の一つの思想空間になっている。
その対策は。
いちばん大事なテーマは、このまま子供が減り、人口が減少し、高齢化社会が続けば、個人主義を謳歌(おうか)することさえできない社会になってしまう、それを克服しなければならないということ。そのことを、若者たちに、はっきり言って聞かせることだ。
安倍政権は人口問題についてイデオロギー的な清算をすべきだ。政権ができなければ論壇が先払いしなければならないが、はっきり言う人がほとんどいない。論壇がこの問題をきちっと処理できなければ、人口問題の対策は“時間切れ”になってしまう。
(聞き手=編集委員・片上晴彦)






