2011年は人口減少社会の始まり

人口減少社会を超えて 第2部・戦後人口政策の誤り (1)

「言葉狩り」で自由な論議封じる

 急速に進むわが国の少子高齢化。その出発点には、「子供2人」を国民に要請するなど、長く人口抑制に努めてきた戦後の人口政策があり、社会の変化や人々の価値観やライフスタイルの変化がある。第2部では、戦後の人口政策の誤りを摘出する。
(人口減少問題取材班)

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 「3人以上の子供を産み育てていただきたい」「いくら努力しても子供に恵まれない方々がおり、そういう方々のために3人以上が必要だ」

 加藤寛治・衆院議員(自民)は、結婚披露宴に出席した際、新郎新婦に必ずこう呼び掛けているというエピソードを5月、党派閥の会合で紹介した。その情報が流れるや、SNSやツイッターに「これこそセクハラだ」などの書き込みが相次いだ。大手紙も「少子化をめぐる失言」(朝日新聞)と追い打ちを掛けた。

 結局、加藤氏は「決して女性蔑視の思いは持っていない。私の舌足らずが誤解を受けた」と述べて発言を撤回した。

 非婚、未婚の男女が増え、結婚していても子供を産まない夫婦が少なくない。政治家がこういった事実を指摘し、出生を促すのは、日本と日本人の将来を思うからだ。しかし、そんな発言をしようものなら猛烈なバッシングを浴びる。

 「子供を産まない方が幸せじゃないかと勝手なことを考えて」「皆が幸せになるためには子供をたくさん産んで、国も栄えていく」(二階俊博・自民党幹事長)、「男が育児、子供に迷惑」「赤ちゃんはママがいいに決まっている」(萩生田光一・同幹事長代行)などの発言も、同様に過剰と言える反応で非難された。

 これらは特に非常識な発言でも、誰かを傷つけるような発言でもない。それが、非難され撤回させられるというのは、かなり異常な言論社会である。

 エッセイストの市田ひろみさんは、「もし子供がほしくてもできない夫婦であるなら、きつい言葉かもしれないが、笑ってすませることもできる」とした上で、「マスコミは政治家のちょっとした発言の言葉尻を捉えて、うんぬんする。これでは言葉狩りです」と批判する。

 現在進行する「少子化」の根を探り出し、国民に広く知らせ国民合意の「少子化対策」を進めていかなければならない。しかしその前提となる自由な議論すら封じてしまう異常な言論空間にわれわれは置かれていいることに、まず気付く必要がある。

 「平成22年国勢調査」の結果を基に改定された人口推計によると、日本の人口は2007(平成19)年から10(同22)年まではほぼ横ばいで推移していたが、11(同23)年に26万人の減少となった。この間、08年にピークの約1億2810万人を迎え、「減少」は1920年(大正9年)の国勢調査以来初めてのことだ。

 その後の月別でも相当数の減少が続いていることから、2012(平成24)年1月の時点で、総務省統計局は11年(同23)年を「人口が継続して減少する社会の始まり~人口減少社会『元年』と言えそう」とした。今年9月1日現在の概算値で人口1億2642万人、ピークより168万人減っている。

 人口減少のスピードは、さらに加速するとみられる。国立社会保障・人口問題研究所の推計(平成29年)によると、40年の1億1092万人を経て、35年後の53年には1億人を割って9924万人となる。65年には8808万人と現在の3分の2、以後も人口減少は続き、100年後の2117年には5060万人程度、現在の2分の1をかなり下回る数値になる。また同研究所が参考値として出された推計(平成24年)では、2110年に4286万人とあり、「100年足らずで人口が3分の1」というのはあまりにショッキングだ。

 既に1969年には公的機関が、人口減少の可能性を指摘していた。当時の厚生省人口問題審議会はその中間報告の中で、「わが国の出生力も再生産力も世界最低の部に属し、人口学的基準からみても下がり過ぎている」と。その後も出生率は下がり、結婚しない若者が増え、政府の「少子化対策」も後手に回り続けた。