名取市の閖上地区、ハト型風船を飛ばして慰霊


追悼のつどい開催、故人へのメッセージを風船に託して

名取市の閖上地区、ハト型風船を飛ばして慰霊

東日本大震災の犠牲者へのメッセージが書かれたハト型の風船=11日午後、宮城県名取市の閖上地区

 東日本大震災の発生から11年。宮城県では震災で9544人が亡くなり、今も1213人が行方不明だ。県内各地の追悼行事を追った。名取市閖上(ゆりあげ)地区の「閖上の記憶」では、追悼のつどいが開催された。午後2時46分に黙祷した後、参加した地元住民らが故人への思い思いのメッセージを託したハト型風船を飛ばした。風もなく、おだやかな空の中、ハト型風船はゆっくりと空に昇って行った。

 名取市に住む男性Aさん。津波で愛犬と親戚2人が犠牲となった。「まだまだです。何年経(た)っても涙が出てきます」、閖上朝市で海産物の販売を行っている菊池廣子さん(60)は「内外の皆さんの支援で、朝市は完全に復興した。さらに頑張りたい」と語っていた。

 南三陸町では、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、追悼式は、式典をとりやめ、自由献花方式で実施。また、震災遺構の防災庁舎が見える復興記念公園では、仙台市から仙台育英高校野球部員約60人が、震災教育の一環として、追悼に訪れ、語り部・芳賀長恒さんの話に熱心に耳を傾けていた。

 児童74人と教職員10人が津波の犠牲となった石巻市の大川小学校は、去年7月から「震災遺構」として一般公開された。この日、児童の遺族らが、手作りの竹灯籠を使った追悼行事を旧校舎そばで開催した。犠牲者数と同じ84本の竹筒に意匠を施し、明かりをともした。

 遺族らでつくる「大川竹あかり実行委員会」の共同委員長を務め、大川小6年だった三男雄樹君=当時(12)=を津波で失った佐藤和隆さん(55)は「甚大な被害を受けた大川地区に根付く新たな行事にしようと、関係者らは心を新たにしています」と説明。

 また、2004年のインド洋大津波に遭い、両親とともに逃げて命拾いしたというインドネシア人で、東北大学院生のシティ・マグフィラさん(25)も追悼式に参加。「当時を思い出して、涙が出ます。犠牲となった子供たちと親たちのために冥福を祈ります」と涙ながらに語り、手を合わせていた。