モーグル川村選手、しなやかに力強く磨いた滑り


惜しくも5位、「1日70本」新潟県湯沢町で練習を積む

モーグル川村選手、しなやかに力強く磨いた滑り

練習仲間と写真に写る中学生の頃の川村あんり選手(右から3人目)=2017年2月、新潟県湯沢町(南雲康夫さん提供)

 北京五輪フリースタイルスキー女子モーグルで、川村あんり選手(17)=東京・日体大桜華高=は惜しくも5位に終わった。

 4歳から中学時代まで新潟県湯沢町の「ナスパスキーガーデン」に通い、しなやかで力強いターン、スピード、空中技のエアを磨いた。ゲレンデ管理などを担うスポーツ課の南雲康夫課長(46)も当時から知る一人。「既にモーグルを始めていて、本当にスキーが好きな子。元気いっぱいで、今と変わらずハキハキ明るく、スキーもうまいなと思っていた」と語る。

 川村選手は東京都出身だが、小学校高学年になると冬季だけ湯沢町に「留学」し、地元の小学校に通った。

 モーグルの常設コースはない。練習前、ゲレンデ斜面にコブやジャンプ台を設ける必要があり、南雲さんは「あんりも他の選手や保護者たちに交じって当たり前のように2時間かけて作業していた」と話す。

 中学時代は湯沢町に移り住み、練習漬けの日々を送った。滑るのは、最大傾斜角が40度もあるゲレンデ。南雲さんは「放課後になると来て、土日は朝から晩まで。1日に70本滑ることもあり、これは男子でもハードな練習だ」と明かす。

 ここから巣立った代表選手は多く、平昌大会銅メダリストで、今大会も出場した原大智選手(24)=日本スキー場開発ク=もその一人。川村選手も世界で戦う力を蓄えた。南雲さんは「体は柔らかいのに、足腰が強くて、芯がある」とし、「頑張る姿を見ていれば、五輪に出るのは当然だ」と言い切る。

 結果は惜しくも5位に。テレビで見守った南雲さんは「いい顔をしていた。ターンも一番奇麗だった。ジャッジにかなわず悔しいが、小さい頃の夢をかなえたことで、良い経験ができたと思う」と4年後に期待し、「一生懸命練習したスキー場が、うちで幸せでした」と感謝の言葉を贈った。