高校サッカー国見元監督、小嶺忠敏さんが死去
享年76、全国高校選手権で戦後最多6度の優勝を記録
高校サッカーで、長崎県立島原商、国見を全国有数の強豪に育て、名将と知られた小嶺忠敏(こみね・ただとし)さんが7日午前4時24分、肝不全のため、長崎市の病院で死去した。76歳だった。葬儀は9日正午から長崎県南島原市深江町丁4593の南高葬儀社セレモニーホール寶玉殿で。喪主は妻厚子(あつこ)さん。
長崎県南島原市出身。大商大を卒業した1968年に母校の島原商の教諭となり監督就任。77年の全国高校総体で長崎県勢として初優勝を果たした。
84年に国見に転任。86年度に同校を初めて全国高校選手権に導き準優勝し、87年度に初優勝。帝京(東京)と並ぶ戦後最多6度の優勝を記録した。教え子には島原商では勝矢寿延、国見では高木琢也、三浦淳宏、大久保嘉人、平山相太ら日本代表経験者が多数いる。
93年のU17(17歳以下)世界選手権では日本代表監督を務め8強入り。2007年に参院長崎選挙区に自民党公認で立候補し落選。同年から長崎総合科学大学の教授に就任し、15年には同大学付属高校のサッカー部監督。長崎県サッカー協会会長やJリーグのV・ファーレン長崎の初代社長も務めた。
長崎総合科学大付高は開催中の第100回全国高校選手権に出場していたが、小嶺さんは大会前に体調が悪化し、ベンチ入りしなかった。